はとバスが4期連続赤字からV字回復でつかんだ「100年企業への道筋」

2025.11.17
「観光バスと言えばはとバス」コロナで苦しんだのちに業績を回復させている様子を、トップに話を聞きました。

「東京駅から出ている黄色いバス」として有名なはとバス。東京観光といえばはとバスのイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。

観光業が大きな打撃を受けたコロナ禍では売り上げが大幅ダウンし、4期連続で赤字になるなど苦しみましたが、その後回復し、業績を伸ばしています。

その理由の1つが、魅力的なバスツアーの数々です。2階建てのオープンバスで東京の主要な観光地を巡るツアーなどが人気で、老若男女問わず楽しめるものになっているなど、その市場を広げています。

2階建てのオープンバスで東京の主要な観光地を巡るツアー

2018年度(2018年7月~2019年6月)は175億円あった売上が、コロナの影響を受けて2020年度は69億円と激減しましたが、2022年度は118億円、2023年度は136億円とV字回復させているのです。

コロナ明けのインバウンド復活という追い風はありながらも、その苦境下で得た教訓をもとに、会社のあり方、今後を見据えた変革を進めています。

詳しい話を、トップに聞きました。

株式会社はとバスの代表取締役社長を務める武市玲子氏は、長年東京都の職員として都政の要職を歴任し、都営バスや都営地下鉄などを運営する東京都交通局のトップ(交通局長)を務めてきました。2023年4月に、はとバス社長に就任しています。

観光が壊滅する中で会社を支えた別事業

はとバスが手掛けているのは総合観光事業。観光バスを主力に、ホテル事業や、都営バスの一部路線の管理受託事業も行っています。

コロナ禍がはとバスの屋台骨である観光事業に与えた影響は、非常に深刻なものでした。武市氏は当時の状況をこう振り返ります。

コロナ前の2018年度の観光バス事業の売上を100とすると、コロナ禍での売上は14%にまで落ち込みました。ホテル事業に至っては10%に満たない状況です。赤字が続き会社全体の財務はかなり毀損してしまいました」(武市氏)

売上の大半を占める主力事業が壊滅的な打撃を受ける中、同社の屋台骨を支えたのが、「路線バス受託事業」と意外にも「不動産事業」でした。コロナ禍直前の2019年2月に品川に竣工した、UR都市機構との共同開発による複合ビル「Shinagawa HEART」のオフィス賃料収入が、キャッシュフローを強力に下支えしたのです。

不動産事業の売上は、Shinagawa HEARTの貢献により、2018年度比で一気に800%(2020年度)にまで伸長しました。もし、このオフィスビルが建っていなかったら、会社がどうなっていたかわからない。前々任の社長が進めていたこの投資が、結果的に会社を救う形になりました」

しかし、不動産事業だけで全てをカバーできたわけではありません。コロナ禍もあり、経常収支は4期連続の赤字を計上することになります。武市氏が社長に就任した2023年度は「5期ぶりの経常黒字を目指せ」というスローガンを掲げることになりました。

「観光バス事業は、実は収益性はあまり高くありませんでした。その理由のひとつに、さまざまなツアーを掲載する分厚いパンフレットを四半期ごとに制作して旅行代理店に送付していたことがあげられます。予約は、旅行代理店やお客さまからの電話が中心で制作費・人件費・旅行代理店への手数料などの経費がかかり、利益率が低かったのです。

コロナ禍を経験したことで、会社として『これまでと発想が変わった』のがよい点ととらえています。会社全体で、利益率を改善するための取り組みが進められるようになったからです。

パンフレットは季節感のあるコースや人気のある代表的なコースのみを掲載する形に変え、全てのコースの情報発信をホームページに集約してWEBから簡単にお申込みいただけるようにしました。

販売も代理店に頼らない形にシフトした結果、お客さまからの直接のお申し込みが増えていき、現在約9割が直接販売になり、利益率が向上しました」

そのようなコスト構造の見直しや、インバウンドの急回復という追い風も受け、観光バス事業の売上はコロナ前の6割、ホテル事業は9割まで回復しました。目標であった黒字化が成し遂げられています。

特筆すべきは、これまでの主力はコロナ前の水準に戻り切っていないにもかかわらず、コロナ前よりも利益を伸ばしていることです。

以前は観光バス事業が利益の6割を占めていたのが、現在は3割ほどになり、不動産事業が3割に達するなど、その利益構造を変化させています。

このような変化を経て、武市氏は「揺るがない柱をつくるという意味で、事業の多角化は不可欠。今後は最適な事業ポートフォリオを模索しつつ、不動産の比率をもう少し上げていくことも検討しています」と語ります。コロナ禍という名の荒波を乗り越えた経験は、はとバスの経営基盤をより一層強固なものにしたと言えます。

守るべきものと変えるべきもの―改革が目指す「新たなるはとバス」

公務員として長年、東京都の行政に携わってきた武市氏。就任前のはとバスに対する印象は、「地方から来た祖母と一緒に乗った、東京観光のバス」という、多くの人が抱くイメージそのものだったといいます。しかし、経営者として内部から会社を見つめた時、その印象は大きく覆されることになります。

「社長に就任してみると、定番の東京観光だけでなく、富士登山やマニア向けのツアー、キャラクターの『推し活』と連動した企画まで、実にバラエティに富んだ商品を展開しているとわかりました。

そして何より、会社の70年史を読んで、戦後の日本を観光事業で立て直したいという創業者の熱い思いを知り、この会社が持つ社会的使命の重さを再認識しました」

終戦からわずか3年後の1948年、まだ焼け野原の風景が残る東京で「観光事業を通じて日本の復興に貢献する」という思いから「新日本観光株式会社」が設立されました。1949年に都内の定期観光バスの運行をスタートさせて間もな

く、平和とスピードをあらわす「鳩」がバスの車体に描かれたことから「はとバス」の愛称で親しまれ、これが現在の社名となっています。

創業の思いである「社会的使命」が、武市氏が進める新たなはとバスをつくるうえでのキーワードになっています。

ただ利益を追求するだけではない、社会の公器としての存在意義を次代に繋いでいくために、旧来の慣習を見直し、組織をアップデートする必要がある。武市氏はそう考えました。

策定されたのが、2025中期経営計画です。「コロナ禍からの生き残りをかけた」いわば防衛的な計画だった2022中計から一転し、未来への成長投資を明確に打ち出したものです。その核心となるのが「横断的機能戦略」というコンセプトです。

「これまでは、観光バス、路線バス受託、ホテル、不動産といった事業部が、性質の違いもありそれぞれの事業優先になっていました。しかし、これからは『はとバス』としてどう成長していくのか、という視点が不可欠です。人財育成やデジタル化を事業部ごとにバラバラに進めていては、会社としての成長や最適化は成しえません」

この「横断的機能戦略」は、5つの柱で構成されます。

1.ブランディング: 77年の歴史で培われた「はとバス」ブランドを再認識し、全社で価値向上に取り組む
2.人財・組織: 多様な事業を展開する強みを活かし、多角的な視点を持つ人財を育成する。人財の確保・定着やエンゲージメントの向上に繋がる取組みを強化する
3.DX・IT: 各事業部でまちまちだったシステムを統合・連携させ、生産性の向上を図ると共に多様な働き方を実現させる
4.内部統制: コーポレートガバナンス・内部統制システムの重要性を浸透させ、コンプライアンス・リスクマネジメントに関する意識を向上させる
5.財務: 全社の財務データを一元管理するシステムを構築し、迅速・適格な経営判断を可能にする

特にDXは、喫緊の課題です。「東京駅の乗り場では、今でもその日の運行一覧が紙で貼り出されています。各事業部で開発したシステムが連携しておらず、Excelでデータを打ち直している部署もあるのが実情です」武市氏は内情を率直に明かします。こうした非効率を解消し、創出したリソースを新たな価値創造へと振り向けることを進めているといいます。

「ライバルはお客さま」の精神

はとバスのビジネスモデルは同業他社と比べても独特と言えます。

「我々は、自社で旅行商品を企画し、自社のバスで運行し、自社の整備工場で車両をメンテナンスする。ドライバーもガイドも全て自社の社員です。この企画から運行、整備、営業まで、全てをワンストップで完結できる体制こそが、最大の強みです」

ここまで整えられている会社は多くありません。この一気通貫体制が、高品質なサービスと、何よりも「安全・安心」という絶対的な価値を生み出しています。また、整備もしっかりできるからこそ、都営バスやほかの事業者の車両の整備も行うことが可能で、それも収益源になっているのです。

新人運転手は、実際にお客さまを乗せてコースを運転できるようになるまで、経験者でも最低1ヶ月間の徹底した研修を受けます。ベテラン運転手が教育担当としてマンツーマンで指導にあたるその練度は、2月に開催された東京のバス会社が安全運転技術を競うコンテストで「3大会連続優勝」という快挙にも表れています。

そして、この強固な事業基盤の上に立つのが、卓越した「企画力」と、困難を乗り越える「突破力」です。その象徴的な事例が、コロナ禍で実現した「羽田空港ベストビュードライブ」ツアーです。これは、空港の走行に制限のある区域をバスが走るというもので、常識を覆すものでした。

羽田空港制限区域内を走るバスツアーの様子

「通常、空港の制限区域内をバスが走るなど、安全基準の観点から到底考えられません。しかし、コロナ禍で運輸業界全体が元気をなくしている中、何か盛り上げることはできないか、という思いがありました。何せ普段は走れない場所を走るツアーですから、安全面などを徹底的に検証し、通常ならば3カ月もあれば完成するバスツアーを、このときは倍以上の時間をかけ、関係各所との粘り強い調整を重ねて実現にこぎつけました」

逆境をチャンスに変える。このツアーは、はとバスの突破力を世に知らしめると同時に、社員に「やればできる」という大きな自信をもたらしたといいます。

武市氏が就任するよりもはるか前、6代前の社長は、経営危機の際にこう語りました。

同業他社より優れていても、お客さまの心を満足させなければ意味はない。ライバルはお客さまだ。

この言葉は、今もはとバスのDNAに深く刻み込まれているといいます。

毎月、経営陣も参加して、顧客から寄せられたすべてのはがきやウェブからのアンケートの意見に目を通す「お客さまの声会議」は、その精神の現れです。顧客の声に真摯に耳を傾け、細やかな改善を地道に積み重ねる。

この愚直なまでの顧客志向こそが、77年にわたり愛され続ける理由であり、また武市氏は「長年の信頼で事業を行ってきた」と語るように、その大切にすることは次代を経ても変えることなく追求し続けていきたいといいます。

大切なことを追求するために、経営面では時代に合わせて様々な変革を行っています。武市氏は社長就任後、社長直轄の組織として「サステナブル経営推進室」を新設しました。

グループ企業理念に掲げられている「安全・快適・環境保全の追求」を、サステナビリティのマテリアリティ(重要課題)としてより明確にし、取り組みを「見える化・加速化」して企業価値の向上につなげるためだとその目的を語ります。再生可能エネルギーの導入や、持続可能な観光商品の開発などが、その取り組みの例として挙げられます。

「10年後も、『安心と感動を笑顔に乗せて』走り続けている。そんな姿でありたいですね」。武市氏は穏やかながらも力強い口調で未来を語ります。

株式会社はとバス代表取締役社長 武市玲子氏

戦後の復興から高度経済成長、そしてパンデミックという国難まで、常に時代の変化とともに走り続けてきたはとバス。その道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

しかし、幾多の困難を乗り越えるたびに、同社はより強く、しなやかになってきたといえます。創業から77年を超えたはとバスは100年企業という次なる目的地へ向けて、その先を見据えています。