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【2代目社長の改革】鎌倉シャツは「カリスマの店」から「サステナブルな企業」への転換で最高益

2025.03.02
「鎌倉シャツ」の愛称で知られるメーカーズシャツ鎌倉は、「既存のビジネスモデルを覆す、上質で納得価格のシャツ専門店」という考えのもと、国内に25店舗を展開、日本のみならずアメリカ、中国など海外にも展開しており、その年商は55億1000万円、営業利益は2億5500万円(23年12月期)となっています。

1993年に貞末良雄氏とタミ子氏の夫妻で創業し、現在はその娘である貞末奈名子氏が事業を承継、2代目社長として業績の拡大を続け、3期連続で黒字を達成、2024年度の営業利益は過去最高を記録しました。

「両親が体調を崩して突然後を継ぐことになり、そのタイミングでコロナ禍を迎え、大変な時期で苦渋の決断もした」そう語る貞末氏は創業者の確立したものを受け継ぎながらも、時代や組織のステージに合わせた改革を多々行っています。その内容について聞きました。

メーカーズシャツ鎌倉は「想い」から始まった

鎌倉シャツは創業者の貞末良雄氏がかつて勤務していた紳士服メーカーの元社長に「日本人の男性をおしゃれにするという私の意志を引き継いでくれる人はいないのかね」と言われ「私がシャツ屋をやります」と、長年温めていた事業構想を形にすることから始まりました。

それは「中間コストを徹底して削減し、最高品質のメイド・イン・ジャパンのシャツを納得価格で販売すれば、品質を見極めるお客様に必ず受け入れられる」というもので、妻のタミ子氏の出身地である鎌倉で小さな店舗を構え、タミ子氏が販売を担ったのがスタートです。

日本の縫製工場による最高品質のメイド・イン・ジャパンのシャツを、従来のサプライチェーンの見直しと中間コストの削減により、工場から直接、店舗へ納品し、納得価格で販売。創業以来、国内で企画から製造・販売までを一貫して行い、セールをせずに売り切るビジネスモデルを貫いています。

「この品質でこの価格は安い」と製品が受け入れられて売り上げを伸ばしていき、横浜や東京、大阪や博多などビジネスパーソンの集う場所へと出店。2012年にはニューヨーク、2019年に上海へも進出しています。
順調に成長を続けた一方で、53歳で創業し、80歳近い年齢になっていた貞末貞雄氏とタミ子氏は体調を崩すようになり、
2020年に代表取締役の座を長女の奈名子氏に譲ります。
奈名子氏は大学卒業後、地元の金融機関勤務を経てメーカーズシャツ鎌倉に入社。店舗ビジネス以外にもWebビジネスや海外Eコマース事業に関わり、ニューヨーク、上海の出店を主導するなど、20年以上にわたり同社の成長に貢献してきました。

 

カリスマ経営者の店から組織へ。離職率は15%→7%に

奈名子氏は語ります。
メーカーズシャツ鎌倉は、父の強い想いのもとに創業しました。いわば会社そのものである父のカリスマ性、強いリーダーシップがあり、それに社員はついていくという形で成長してきたのです。
私は父のようなカリスマでもないですから、会社を運営していくためには、社員の皆さんの力をお借りしなければならない。そう思いました。
そのために進めたのが「組織をつくる」ことです。実はそれが、父が一番嫌ったことでもあります。
当時のメーカーズシャツ鎌倉は、父の強いリーダーシップのもと、社員は指示を受けて動くいわば「文鎮型」の、父とそれ以外の社員がいるような形でした。父の考え、行いたいことが速く、正確に実現できる環境だったのです。そして「直接言えばいいのだから、会議など無駄」という考えでした。
私が行ったのは、もっとフラットな組織の形をつくることです。会議も、今は週に1回行うようになっています。やはり会議があるからこそ、情報の共有もしっかり行われ、スムーズになっている部分が数多くあります。今の組織の形には不可欠なものです。
以前は、企画製造と販売で会社が分かれていました。父と母で完全に分業していたので、それが当時最も効率のよい形でもあったのです。私の代になり、会社を1つに統合しています。
「好きなものをつくる」企画製造と「もっと顧客のニーズに合ったものを売りたい」販売は時に対立しがちで、父と母で役割分担できていたときはそれでもいわば阿吽の呼吸で成り立っていましたが、代替わりを機に、今の状態にとってよい形に変えたのです。
このときに気を付けたのが、「働く人の条件をよいほうに統一すること」です。企画製造会社と販売会社では企画製造の勤務時間が1時間短かったので、販売会社もそれに合わせて実働7時間にしました。
「時間を短くして現場が回るのか」という懸念の声もありましたが、店舗の運営は問題なくできており、必要な売上も確保できています。
休日日数も統一し、残業も1分単位で記録するようにしています。労務環境は他社で販売員をしていた人が転職してきて、驚く部分です。
私が社長に就任したとき、わが社の離職率は15%だったのを、現在は7%まで下げることができました。これは業界の平均と比べても相当低いレベルで、労務環境を整えたことの結果と考えています。

「多くの給与を払うために、どうすれば儲かるか」を従業員に考えてもらう

従業員はせっかく縁がありうちの会社に来てくださっているわけですから、この会社に来てよかった、楽しいと思ってもらえる環境づくりを、企業として行っていかなければならないと考えています。
ただシャツを販売するのではなく、知的集団になり、自分たちが仕事にやりがいを持って毎日を送ることができる。そしてそのことへの対価、報酬も大事であると考えています。
いくら「やりがいのある仕事」と思ってもそれなりの給与が得られなければ、豊かな生活を送ることはできませんから、会社としてしっかり儲ける。そしてそれをきちんと働く人に分配していきたい。
そのため、常々「お店が儲かるために、働く皆さんに多くの報酬を分配するために何ができるかを一緒に考えましょう」と話しています。
わが社はありがたいことに、必要な人員の採用ができています。ただし、現場はどんなに充足していても人手不足と感じるもので、それは常に起こることです。「足りないなら人は増やせます。でも人を増やすと皆さんの給料は減りますよ。だから自分たちで考え、ストレッチできる部分があるならば伸ばして、少人数で儲けて多く分配してもらいましょう。適切な人員数はどのくらいかを自ら考えてください」という話をしています。
離職率が大きく下がり、従業員が辞めることなく働き続けてくれていますから、勤務年数も増え経験を積み、習熟した人が売上を伸ばす策を考えて案を出してくれることで、精度も高くなり、売上増につながりより成長していく。いわばサステナブルな成長を実現する企業になっていけると考えています。

改革の根底に「これまで培ってきた信頼」

私が社長に就任し、大きく変えた部分がたくさんあります。会社の規模の違い、父と私の違いなどから適切と考えることを行ってきましたが、そのようにできた理由として、父が体調を崩し、完全に経営から離れたことも大きかったと思っています。
やはり社長になってからも父の存在感が大きかったならば、ここまで思い切ったことはできなかったかもしれません。
大きく変えてきましたが、その根底には父と母が築き上げてきた「顧客・取引先との信頼」があると考えています。
私たちは「セール販売をしない」を創業以来貫いてきました。販売価格は常に同じです。
「お金は信頼関係の証」
父はよく私にそう言っていました。
店の都合で値段を下げると、昨日この値段で買った人と今日勝った人とに不公平が生じる。それは裏切り行為だと。「セールをしない」は信頼の礎でもある。それが私たちの考えです。
昨今の物価上昇による値段の改定は行っていますが、これまでと同じ商品をただ値上げするのではなく、よりよいものをつくり付加価値を高め、新たな価格をお客様に納得していただく。それも創業以来の考えを軸に行っていることです。
私の社長就任直後のコロナ禍では店舗の休業、その後一部店舗を閉店するなど、苦渋の決断も迫られました。売上も激減し、経営は苦しくなりましたが、30年間取引先にも従業員に対してもお金をしっかり払うことを続けてきた、お金に関する信頼を守り続けてきた父ならばどうするかを考え、給与は削減しませんでした。
その年5月の賞与だけは4割カットせざるを得ませんでしたが、急遽製造し大きく売り上げたマスクの収益で、8月に残額を支給できています。
お金に関することはしっかりする、父が築き上げた信頼があるからこそ現在商売をできていると強く思っているからこそ、これから先もその信頼を守り続けていきたいと考えています。

創業の地、鎌倉への回帰。「世界に出ていくためには、地元に応援される存在であれ」

鎌倉にある鎌倉シャツ本店

メーカーズシャツ鎌倉は、その名前の通り鎌倉で起業した会社です。私も鎌倉で育ち、鎌倉の学校を卒業しています。
私の代になり改めて意識しているのが「創業の地、鎌倉を大切にすること」いわば鎌倉への回帰です。
父は「グローバルに活躍することが日本のためになる」と考え、横浜、東京と日本の中心地への出店を進め、世界へ出ていく施策に力を入れていました。
私もその考えを継承し、2025年は、「鎌倉から世界へ」を社長メッセージとして打ち出し、本格的に始動することを表明しました。
その一方で大切にしたいのが「地元、鎌倉の大切さ」です。いくら大きな目標を掲げていても、足元を固めなければ着実に前に進むことはできません。私たちの活動を地元の人に応援してもらえないようでは、世界で活躍することなどできないと考えています。
社長就任後、さまざまな新体制構築を進めていったなかで、改めて「鎌倉の企業として地域に根ざした取り組みをより深化させる」ことを決めました。
副社長で弟の貞末哲兵が鎌倉に移住し、建長寺や円覚寺、浄智寺など鎌倉の有名な古寺の協力を得て「作務衣」を製作するなどしています。
世界のスーパーブランドを見ても、創業の地とは密接につながっているのを感じています。その土地の雰囲気のようなものをしっかりまとうことが、世界に発信するならばなおのこと必要になる。それがこれまでの成長を経てたどり着いた答えです。
父と母から受け継いだ大切なものを守り、よいところを伸ばしながら、時代や会社、働く人のステージに合わせてこれからも進化させ、成長を続けていきたい。それが目指しているものです。

 

 

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