貸しおしぼり業二代目 自社技術磨き海外展開
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2023.11.25
- 「FSX株式会社」
この名前を聞いて、どんな業種展開をしている企業を思い浮かべるでしょうか。同社は1967年に東京都国立市で「貸しおしぼり」業の株式会社藤波タオルサービス(旧社名)として創業しました。現在は製造やサイエンスなど多様な分野に進出し、世界を見据えた事業展開を進めています。
おしぼりの可能性を引き出した二代目経営者の藤波克之氏にお話しをうかがいました。
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FSXの企業カラーは赤と黒。この色はおしぼり工場内でも統一されています。おしぼりを洗浄する巨大な黒い機械は自社オリジナルで発注したとのこと。従業員らも社名のロゴが入ったユニフォーム姿で作業しています。
おしぼりを生産する作業は機械だけではなく多くの人の手が必要です。最終的な包装作業の検品は1枚ずつ人の目で確認し、従業員が慣れた手つきで規格外商品をよけていきます。中でも海外向けの使い切りおしぼりは5人がかりで丁寧に梱包作業を進めていきます。
かつては貸しおしぼり業が売上の8割
自社は1967年、父が貸しおしぼり業を営む「藤波タオルサービス」として創業しました。当初は自分が会社経営に携わることは考えていませんでした。基本的には人前に立つことが嫌いでしたし、人生は自分で切り開きたいと考えていたからです。大学卒業後は別の企業に就職しました。
しかし、父の病気をきっかけに30歳を区切りに家業を継ぐ決心をしました。
会社は従業員が汗水流して冗談を言い合っている明るい町工場でしたが、当時は売上の8割が飲食店へのおしぼりレンタル業で、商圏も東京都の多摩地域が中心でした。
父は創業から裸一貫でやってきて、「我が人生に悔いは無し!」と大好きな石原裕次郎の歌詞にかけてよく言っていましたが、私には今後の少子高齢化の流れや働いている従業員、従業員の家族のことなどを思うと不安でしかありませんでした。
・事業の8割がおしぼりレンタル
・ほぼ外食産業に委ねられている
・価格競争ばかりで単価を上げられない
・付加価値がなく顧客から指名されることも少ない
・会社が東京のかなり郊外にあり、同業者の中でも立地的に不利
もしも不測の事態が起きれば、経営が危うくなる可能性が非常に高いと感じていました。
当時、わが社では都内への進出やベトナムでのタオル直輸入事業を模索し始めていた時期でもあり、役員から「新しい風を吹かせてほしい。それがあなたの役割です」と託されました。
「自分の役割とは何か」。新しい風を自分のテーマにしながら、人脈を築き、自社の足りないもの・課題を探っていきました。その頃から自社を客観的に見る目を意識していきました。
自社技術確立 地場産業から製造業へ
おしぼりといえば男性が顔をゴシゴシ拭く姿を想像するかと思いますが、女性が好むようなおしぼりを作りたいと考えていました。
自社で仕事を始めて1年経った2006年、布おしぼりに香りをつけられる製品を企画し、商品化を進めました。
開発したのは、おしぼりウォーマーに入れると天然アロマの香りをつけることができる芳香剤です。シンプルですが、これまでになかった本質的な製品の開発に成功し、その後のオリジナル商品開発にも繋がっていきました。
それは、地場産業の貸しおしぼり会社からメーカーになった瞬間でした。同業者や商社への製品の卸しも始めるようになりました。
特許取得の機械で多品種のおしぼりを製造
芳香剤だけでなく、使い切りタイプのアロマおしぼりの製造も進めてきました。
同じ機械で数種類の使い切りおしぼりを作るためには、アロマの原料は香りが強く、切り換えるときに、機械や機械に繋がっているホースなどを何時間もかけて洗浄しなければならず、メンテナンスが非常に大変です。
以前は他社に発注していましたが、私にとってアロマおしぼりは魂の商品の1つだと思い機械の製造メーカーと協力して、独自の技術を取り入れた加工機を開発、特許を取得しました。
現在では多品種のおしぼりを製造できるようになっています。
自社のオリジナル技術を確立していきながら意識してきたのが海外です。
2010年頃から6年間、香港での展示会に参加し、体でマーケティングを学びました。
かつては中国製の安い製品を仕入れ、いかに安く販売するかばかり考えていました。しかし、海外では自社オリジナル製品を自社製造で作っていかなければ通用しないことがわかりました。
さらに、展覧会のジャパンブースには社名も含めてきらびやかな会社が多かったです。当時の社名は「藤波タオルサービス」でしたが、海外の方にも長きに渡ってきちんと伝えられる会社にしていく必要があると実感しました。
そこから自社の「ブランディング」を始めていきました。
JAPANブランドを意識して会社のブランディングを行った結果、最もしっくりきたカラーが黒と赤です。黒は伝統、赤は革新を表しています。ホームページや名刺、展覧会のブースなどコーポレートアイデンティティーが絡むものに関してはカラーを統一しました。
2016年には社名を「藤波タオルサービス」から「FSX」に変えました。
意識したのは、シンプルでわかりやすく、そして海外からの目線でした。
「F」創業者である父を思い「藤波」の痕跡は残したいと考えました。
「S」おしぼりにこだわりがありますが、自社の本質は「サービス」です。「S」をど真ん中につけました。
「X」おしぼりには無限の可能性があることを示すため「X」の文字を入れました。変革しなければいけないという私の意思の表れでもあります。
一連の変革には軋轢もありました。業界の仲間から「藤波さんは変わった」と言われたこともあります。
しかし、会社の未来のために信じて疑わなかったのは、より良いものに付加価値をつけて高く売り、それを海外にまで展開していかなければいけないということでした。そして、経営者として、人をどんどん雇用して売上を上げるだけではなく、一定の組織を作り、その組織の中で売上を上げていく会社にしなければ、誰も幸せにできないと考えました。
おしぼり会社に研究室を設置
付加価値をつけるための自社技術確立の1つが研究開発です。FSXではおしぼりから生まれた衛生技術の研究開発を行っています。私自身も大学院に通いながら勉強を続けています。
東京工業大学と慶應義塾大学発の合同ベンチャーと共同研究した結果、ウイルス・菌を99.99%以上抑制し、肌への負担が少ないことが特徴の抗ウイルス・抗菌水溶液「VB(ブイビー)」を開発しました。
VBは特許技術で商標も取っており、今後は化粧品や工業用品などへの展開を考えています。まだわかっていないことも多く、自社内に「FSXラボ」という研究室を作り、元慶応大学医学部の先生と一緒に研究を続けています。来年はおしぼり会社に研究員が入社します。VBの研究者を自社で育てていくために採用しました。
おしぼりを1本1本丁寧に作るのと同様に、エビデンスも1つひとつ地道に積み上げていこうと考えています。
他事業の成長で乗り越えたコロナ
他の事業を伸ばしていた結果、コロナ禍においても従業員の雇用と会社を守ることができました。
緊急事態宣言で飲食店が休業し、おしぼりのレンタル事業が止まった結果、2020年4月は売上6割減でした。
しかし2020年2月にテレビ東京のWBS(ワールドビジネスサテライト)で自社が取り上げられたこともありVBなどへの問い合わせが殺到していた時期だったのです。工場では連日、使い切りタイプのVBおしぼりの出荷に追われていました。
当時はコロナ収束の兆しは全く見えませんでしたが、乗り越えていけると自信を持つことができました。
国際芸術祭に参加 おしぼりの価値を見つめ直す
コロナ禍、経営者としてさまざまな情報を集めていました。その中の1つがアートです。東京のまちを舞台に2年に1度開催する国際芸術祭「東京ビエンナーレ」に参加しました。
コロナで最も苦労したのが、おしぼりレンタル事業です。中にはやる気がなくなったり、モチベーションが下がったりした従業員もいました。おしぼりの価値をもう一度見つめ直し、ブランディングしていくことが、コロナが明けた時に最も大事だと考えていました。
東京ビエンナーレは企業と市民が一緒に作り上げる芸術祭です。私たちのおしぼりを白いキャンバスに見立てて、国内外のアーティストがデザインした作品を刺繍した「アートおしぼり」を賛同いただいた協力店舗のお客様に提供しました。従業員にとっても親しみやすく、共に参加している気持ちになれたらと思いました。これからの若い世代を勇気づけられる経験にもしたかったのです。
「OSHIBORI」を世界に広げる準備進む
貸しおしぼり産業は非常に手間がかかり、一筋縄ではいきません。
外食産業との取引がほぼメインですが、最後にお金を支払われる業者です。最後に契約される最も価格交渉が難しい産業なのです。
ですので補完する事業が絶対に必要です。おしぼりでも人々が本当にうらやむような商品を作っていく。その決意は今までもこれからも変わりません。
今後の展望は2つあります。
1つ目は国内。力を入れていこうと考えているのがヘルスケア事業です。おしぼりを主体としたヘルスケア市場はニッチでありながら非常に大きく、そこを目指して商品開発をしていきたいです。
2つ目は海外です。日本のおしぼりを横文字の「OSHIBORI」として海外に出していきたいです。まずは北米への進出です。
アメリカでは和食店をターゲットにおしぼりの販売を進めています。ネットでテストマーケティング販売をしていますが、最近では現地に製品を送るペースが早まってきています。私たちの製品を十分売っていけるのだと確信しています。
30歳で事業を継いで以来、おしぼりをただ売るだけではなくて、他にはない価値・単価設定・ブランディング・商品開発に力を注いできました。おしぼりは非常にシンプルな製品ですが、そこには誰も気づかない無限の可能性があると信じています。