営業/マーケ採用/人材社長経営戦略経営用語集財務/資金調達

出光興産に学ぶ「事業承継の難しさと克服すべき課題」

2023.03.03
現在盛んになっているM&A。事業承継の効果的な方法である一方、事業を別の人や組織に譲るという大きな変化が必要なことから、一筋縄ではいかない部分も多々ある。

今回は出光興産という会社の事業をめぐる一連の動きから、事業承継をするうえでポイントとなりそうな点と、どのようにすればクリアできるかを考えていく。

「私たちは“追い出された側”なんですよ」

出光興産創業家のある人物は、そう語った。冗談交じりのようでいて、その口ぶりからは、複雑な想いが感じられた。

2019年4月に経営統合した出光興産と昭和シェル石油。この経営統合により、同社は石油元売り業界で業界2位となっている。だがこの統合が実現するまでの道のりは、平坦なものではなかった。
昭和シェル石油との統合に、出光の創業家が強硬に反対したからだ。創業家がそのような態度に出た背景を知るためには、出光興産という会社の歴史を見ていく必要がある。

出光興産の沿革と時代に応じた変化

出光興産は1911年(明治44年)、出光佐三氏が現在の福岡県門司市で創業した。戦前は満州など海外に進出し、事業を拡大している。

戦後は敗戦に伴い海外の拠点をすべて失い、存亡の危機に立たされたが、「一人の馘首(かくしゅ)もならぬ」と従業員を誰一人解雇することなく、事業を立て直した。

敗戦からわずか8年後の1953年(昭和28年)、イランとの直接取引を実現。英国が利権を握っていたイランの石油を極秘裏に買い付けて日本に運んだことから「日章丸事件」と呼ばれ、日本だけでなく世界を驚愕させた。

出光佐三氏の「社員は全員家族である」という方針のもとにおこなわれた経営スタイルは「出光の七不思議」と呼ばれた。以下がその7つである。

1.馘首(解雇)がない
2.定年制がない
3.労働組合がない
4.出勤簿がない
5.給料を発表しない
6.給料は生活の保証であって労働の切り売りではない
7.社員が残業代をもらわない

その後の時代の変化に伴い、現在では残業代を支給する、そのための勤務時間把握の仕組みや定年制度等は整えられているが、佐三氏の考えとして受け継がれているものが多々ある。

創業者の佐三氏が社長を退任したのちは血縁中心の社長就任がなされていたが、その後は創業家以外のトップが続いている。

出光は長い間、株式を公開していなかった。「ほかの資本家の主義方針と出光のそれとは絶対に相容れざるものである」という佐三氏の考えにより、外部資本が入ることを良しとしなかった。

しかし、その後財務状況の悪化に伴い、2006年に東京証券取引所市場第一部に株式上場した。創業家は佐三氏の方針に背くと上場に反対したそうだが、社長の天坊昭彦氏(当時)ら経営陣の説得に応じる形となった。

それから10年後の2016年、出光興産の株主総会にて、創業家は代理人を務める弁護士を通じて、進行していた出光興産と昭和シェル石油の経営統合に反対を表明した。

弁護士は、創業家は筆頭株主の日章興産などを通じて出光株の33.92%を保有することから、今回の経営統合について、総会で否決できる立場にあるとした。

創業家の挙げた反対の理由に、両社の企業文化や事業戦略に大きな違いがあり、経営統合の相乗効果が得られないと考えたことがある。

具体的な違いとして、出光には労働組合がないが昭和シェル石油は労働組合が強い、出光は先述の日章丸事件などの歴史からイランと親密なのに対し、昭和シェル石油にはイランと政治的にも敵対関係にあるサウジアラビア国営のサウジアラムコが出資している、などを創業家は挙げている。
かつて株式公開に反対した創業家が、今度は株主総会の場で意見を表明するのはなんとも因果なものであるが、大株主の反対で経営統合は頓挫、出光と創業家の溝は埋まらず、話し合いの場さえ持てない時期が長く続いた。

実現した経営統合と創業家との「落としどころ」

出光は2017年7月に約1200億円の公募増資を実施し、創業家の影響低下を図る。それにより創業家の株式持ち分は33.92%から約26%に低下、創業家は株主総会での拒否権を失うことになる。

それまで反対を表明し続けてきた創業家も態度を変える。経営統合に対し、賛成へと転じた。

ただし、統合される新会社には、創業家が推薦する2人の取締役を入れることを賛成の条件として提示。出光興産はこの条件を受け入れた。影響力を落としたとはいえ、筆頭株主であり、何せ創業者出光佐三の家族である。敵対するのは得策ではない。

取締役として入った1人が、出光正和氏だ。創業家の資産管理会社、日章興産の代表取締役社長であり、出光興産名誉会長の出光昭介氏の長男、出光佐三氏の孫だ。所有する会社の株式は242万2030株、会長の月岡隆氏(4万4535株)を大きく上回る。

このような経緯を経て、出光興産は2019年4月より、トレードネームとして「出光昭和シェル」を名乗るようになった(社名は出光興産に統一)。

筆頭株主は日章興産だが、2番手には創業家が懸念したサウジアラビアの国営石油会社、サウジアラムコの名前が載る。

2020年2月14日に発表された「出光統合レポート」で、出光は「日本発のエネルギー共創企業」を経営ビジョンの1つに掲げている。

日本で暖房・照明用に灯油の販売を始めたのが昭和シェル石油創業者の1人であること、日章丸事件が世界的に石油の自由な貿易が始まるきっかけとなったことなどに触れ、経営統合で創業者たち
のDNAを引き継いで会社のコア・バリューとし「日本発」をおこなっていくとしている。

出光のケースから学ぶ、時代に応じた事業承継の難しさ

画像提供:PIXTA

出光興産の経営統合に関する一連の流れを見てきた。

創業者の強い想いから誕生した会社も、時代とともにその果たす役割を変える。

出光も株式公開など、時代の変化に合わせて、創業者の想いをうまくシフトさせて発展してきた。一方でそれが、今回の経営統合のドタバタのように、変化の足かせとなることもある。

ただし、今回の件を「創業家は考えが古い」「もはや社長ではないのに経営に関与し続けようとしている」と考えるのは早計だ。

会社の色が強すぎると、合併はうまくいかないといわれている。たとえば本田技研工業は「ホンダイズム」が強すぎるあまり、さまざまな会社を合併しても、あまり高い効果を生み出していないとされている。

出光興産は、「出光の七不思議」に象徴されるように、会社の色が極めて強い会社だ。ましてやまったく異なる戦略のもとで、さらには政治的に敵対する国と組んで事業展開してきた会社との合併に疑問符を持った創業家の考えも、共感できる部分は大いにある。

加えて、創業家をないがしろにすることへの、社内への影響も無視できない。

シリコンバレーで著名なエグゼクティブ・コーチであり、アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏が師と仰ぎ永年師事したほか、グーグル、アマゾン、You Tube、ツイッターなど、シリコンバレー主要企業の発展に大きく寄与したとされるビル・キャンベル氏は、「創業者を愛すること」を成功に必要な要素の1つとして掲げている。

アマゾンがかつて経営危機に陥った際に、創業者のジェフ・ベゾズ氏を解任する動議が出された際は、キャンベル氏が撤回させた。21年の退任の際には、周到な準備を経ての決定をおこなっている。

同氏が創業者を大切にした理由は、会社にとって最も大切なものは「ビジョン」であり、ビジョンは会社にとっての心と魂である、それをつくれるのは創業者だけというのが、その根拠だ。

創業者の出光佐三氏は「店主」と呼ばれ、今も出光興産の絶対的存在だ。佐三氏の長男、出光昭介氏はかつて社長を務め、現在も出光興産名誉会長の地位にある。

その創業家への態度が、現場の士気等にも影響しうることは、想像に難くない。現経営陣も、慎重に対応すべきだろう。そのようなデリケートな部分であることから、出光興産には「創業家対策室」があるといわれている。

出光興産のケースはかなり極端な例と言えるかもしれない。だがM&Aをする側、される側ともに、自社がおこなうとなった場合に、参考にできる点が多々ある。