見栄と業に溺れない、ワインとの付き合い方
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2026.05.17
サイバーエージェント創業者・藤田晋氏のように、ワインを愛し、ワインに通じ、稀少な1本をコレクションしているという経営者は少なくありません。ご自身がそうでなくても、交遊の場でグラスを交わす機会が多い読者の皆様は、ワインの価値についてどのような見解を持っているでしょうか。
グラスの底に沈む「人間の業」とともに、紐解いていきましょう。
INDEX
グラスに透ける請求書と格付けチェックの真実
正月恒例のテレビ番組『芸能人格付けチェック』。1本100万円を超える最高級ワインと、5,000円のワインを飲み比べる企画で、セレブが高級ワインを外して頭を抱えるセレブを見て、私たちはどこか溜飲を下げます。「一流と言っても、味なんて分かっていないじゃないか」と。
しかし、これを単なる笑い話で片づけてよいのでしょうか。実はこの構図こそ、ワインにおける「おいしさ」と「市場価値」は必ずしもイコールではないという、残酷な真実をむしろ鮮やかに示しています。
人は、最高級ワインが持つ複雑な香りや余韻、土地ごとの個性を、つねに舌で正確に見抜いているから高い金を払うわけではありません。多くの場合、そこにあるのは「世界最高峰を知っている自分」という気分であり、同席者の前で少し良い顔をしたいという欲望なのです。ワインは、ときに知性より先に虚栄心を酔わせます。
今回は、他人事とは言い切れないワインのパラドックス、そしてそこに潜む「人間の業」について、ワインへの理解を深めながら考えてみたいと思います。
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ワイン法が仕掛ける、「うな重」のトラップ
フランスワインを読むうえで、まず知っておきたいのが「産地名のルール」です。
その土地の名前を名乗れる範囲や、造り方の条件を定めた考え方を「アペラシオン」といいます。フランスではAOC(原産地呼称統制)という制度があり、ワインのラベルには「どこの産地のワインか」という情報と、「誰が造ったワインか」という情報が、別々に書かれていることがあります。まず、この違いを知っておくことが大切です。
わかりやすくするため、フランス・ボルドー地方の世界的銘醸地「マルゴー(Margaux)」を、うな重に例えてみましょう。メニューに「うな重」とだけ書かれているのか、店名入りの看板商品なのかで、受け取る印象は変わります。ワインもそれに近いのです。
ワインにおける「梅」は、ラベルに大きく「Margaux(マルゴー)」と書かれたワインだと考えると分かりやすいでしょう。ここでいうマルゴーは、まず「その土地の条件を満たしたワイン」であることを示す産地名です。
続く「竹」は、「Château Palmer(シャトー・パルメ)」のように、産地名に加えて個別の造り手の名前が前面に出たワインです。つまり、「Margaux」が産地名なのに対し、「Château ○○」はその中の特定の生産者名です。
そして頂点の「松」が、「Château Margaux(シャトー・マルゴー)」です。マルゴーの中でもとくに名高い造り手であり、世界的なブランドとして知られています。
ここで知っておきたいのは、ラベルに「Margaux」と書いてあっても、それだけで「シャトー・マルゴー」を意味するわけではない、ということです。片方は産地名、もう片方はその中の特定の造り手。似て見えても、意味はまったく違います。
だから、「マルゴーと書いてある=あの最高級ワインだ」と思い込むと、話を取り違えやすいのです。法律が守っているのは、まず産地と造りの条件です。けれども、飲み手の側はそこにブランドの格まで勝手に読み込んでしまう。そこに、ワインのおもしろさと危うさの両方があります。
北新地「3万円マルゴー」の悲喜劇

画像:PIXTA
この錯誤が、かつて夜の街で滑稽な喜劇を生んだ――そんな話は、関西のワイン好きの間で半ば伝聞のように語られてきました。
1990年代、渡辺淳一の小説『失楽園』が大きな話題を呼びました。不倫関係にある男女の愛と破滅を描いた作品で、作中で主人公たちが最後に口にするワインとして「シャトー・マルゴー」が強い印象を残しました。
そうした空気の中で、北新地では「マルゴー」とだけ聞かせて客に淡い期待を抱かせ、実際には3,000円ほどの、いわば【産地名マルゴー】のワインを、はるかに高い値段で出していた店があった――そんな話が、都市伝説めいたかたちで残っています。
この色気と男たちのブランド志向に目を付けた商売人たちは、「マルゴー・キャンペーン」とでもいうべき売り方で、客の虚栄心を巧みにくすぐったのでしょう。店で頼めばとても手が届かないと思っていた「シャトー・マルゴー」が、思いがけない値段で飲める。そう思い込んだ男たちは、ホステスの前で財力と教養を示すようにグラスを傾けた。けれども実際には、彼らが飲んでいたのは、あくまで産地名としての「マルゴー」だった――そんな構図です。
事実関係の細部はともかく、この話が示している本質は明快です。
人は、ラベルを読んで飲んでいるのではなく、しばしば「名前」を飲んでいるのです。しかも、その名前が自分の教養や財力まで保証してくれると錯覚した瞬間、ワインは味覚の対象ではなく、見栄の道具へと変わります。下心と虚栄心に目がくらむと、人は味ではなく「名前」に金を払ってしまうのです。
この話が事実であれ寓話であれ、そこに凝縮されているのは、ブランドという記号にひれ伏す人間の滑稽さでしょう。ワインは、ときに舌より先に虚栄心を酔わせるのです。
世界一まずい酒が「最高の1杯」になる、フリーレンの教え
では、高価な酒、あるいは成分としての味が美味しければ、それがそのまま「最高のワイン」なのでしょうか。
この問いに、現代の人気作品『葬送のフリーレン』は、静かな答えを示してくれます。
作中で語られる「皇帝酒(ボースハフト)」は、ドワーフのファスが200年以上も探し続けてきた幻の酒です。苦労の末にようやく手に入れたその酒は、いざ飲んでみると、驚くほどまずい。期待が大きかった分、落胆してもおかしくない場面です。
それでも彼らは、顔をしかめながら笑い合い、焚き火を囲んで、そのまずい酒を酌み交わします。共に困難を越えた仲間と飲むからこそ、その一杯は忘れがたいものになる。成分としては「まずい酒」でも、記憶としては「最高の酒」になるのです。
これはワインにも、そのまま当てはまります。液体の化学成分やオークションの落札価格だけが、ワインの価値を決めるわけではありません。どんな場で、誰と、どんな会話を交わしながら開けた1本なのかーー。その記憶の厚みが、ワインをただの酒から「忘れがたい1杯」へと変えていくのです。
底に沈んだ哀愁を飲み干す、リーダーの器
虚栄心と下心にまみれ、分不相応なブランドにすがりついて飲むワインの空虚さ。一方で、顔をしかめるほどまずい酒を、仲間と笑い合って飲む夜の豊かさ。この対比は、そのまま企業経営における価値のつくり方にも似ています。
一流のリーダーは、ワインを単なる味覚の対象として消費しません。
人の見栄や知ったかぶりを笑うだけでなく、自らもまたブランドという鎧を着て生きていることを知っています。だからこそ、銘柄の値段に酔うのではなく、その場にいる人間関係や空気の機微にこそ敏感でいられるのでしょう。
高いワインを開けること自体が悪いのではありません。問題なのは、その一本を何のために開けるのかです。相手を安心させるためか、場を和ませるためか、それとも自分の値札を上げて見せたいだけなのか。ボトルの値段は同じでも、そこに宿る意味はまったく違ってきます。
グラスの底に沈むペーソス(哀愁)を静かに飲み干し、共にまずい酒を笑って飲める仲間を持つこと。それは、金で買える教養ではなく、時間をかけてしか育たない器です。次に会食でワインリストを渡されたとき、そこにあるのは単なる飲み物の羅列ではありません。同席する人たちの見栄も、本音も、教養も、器も、静かに映り込んでいるのです。
教養としての「ラベルの読み方」
では最後に、教養として「フランスワインの簡単なラベルの読み方」、そして、読後におすすめの1本を挙げて終わりにしましょう。
AOC(原産地呼称統制)法と、ラベルでチェックすべき点
AOC(原産地呼称統制)とは、フランスの農産物やワインについて、産地と生産条件を法的に保護する仕組みです。ここで実用的に覚えておきたいのは、ラベルの大きな文字が「産地名」なのか、「個別のシャトー名」なのかを見分けることです。
例えば「Margaux」と大きく書かれていても、それはまず「マルゴーというアペラシオンのワイン」という意味です。
一方で、「Château Palmer」「Château Prieuré-Lichine」「Château Margaux」のように個別のシャトー名が書かれていれば、それは特定の生産者のワインです。
大事なのは、「Château の文字があるか」だけを見ることではありません。“どの地名か”ではなく、“どの生産者か”まで見ることです。このひと手間だけで、ワインリストの見え方はかなり変わります。値段の高さに気圧される前に、まず名前の意味を読む。たったそれだけで、知性と財布の両方を守ることができます。
読後に飲むべき1本『J.J.モルチェ マルゴー』
今回話題に上った「マルゴー」を、自分の舌で確かめてみたい。そう思った方に、入口の1本として挙げやすいのが「J.J.モルチェ マルゴー」です。
このワインは、もちろん「シャトー・マルゴー」ではありません。けれども、だからこそ面白いのです。大きく書かれた「MARGAUX」という文字に過剰な幻想を重ねるのではなく、「アペラシオンとしてのマルゴー」を自分の舌で確かめる。その飲み方こそが、ブランドに酔うのではなく、ワインそのものに近づく一歩になるはずです。

画像提供:明治屋オンラインショップ
【J.J.モルチェ】 1889年創業のボルドーの老舗ネゴシアンで、明治屋との取引は1908年に始まり、1989年には明治屋が親会社になりました。
明治屋の公式サイトでは「J.J.モルチェ マルゴー」が販売されています。 10万円を超える絶対的なブランドの威光がなくても、ラベルの向こうには土地の歴史と人の営みがあります。その風景を一緒に想像できる相手と飲む1本こそ、ほんとうは何より豊かなワインなのかもしれません。
執筆者プロフィール
- 社長onlineパートナーライター 福崎剛
- 東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻 修士課程 修了(工学修士)。
- 日本建築学会会員。
- 2000年、ワインの国際資格WSETのHigher Certificate取得。
- 2003年、ボルドーワイン騎士団「コマンドリー」受章。
- ワイン専門誌にも寄稿。日本国内のワイナリーにも詳しい。現在、フリージャーナリストとして活動中。

