なぜマクドナルドは50年勝ち続けるか?中小企業が学ぶべき経営戦略
-
2026.07.03
-
- 2021年に創業50年を迎えた日本マクドナルド。この度、日本マクドナルドが著者となる、初の公式ビジネス書が出版されました。 その本に書かれている、さまざまな危機に見舞われながらも、時代に応じてビジネスモデルを果敢に変化させて蘇ってきたという同社の歴史をたどると、確固たる基盤はやはり創業者の考え、こだわりから生まれていると感じます。
執筆者:社長online編集部
INDEX
なぜ藤田田氏だけがマクドナルドのフランチャイズ権を獲得できたのか?

日本マクドナルドの親会社であるマクドナルドは、1955年にレイ・クロックによって創業されました。
レイ・クロックは、元々は雑貨商の営業マンでした。
ある日、高性能ミキサーが立て続けに田舎のハンバーガーショップ向けに売れたので「どんな店が何に使っているんだ?」と様子を見に行ったところ、そこが、マクドナルド兄弟が経営するハンバーガーショップだったのです。
クロック氏はその場でフランチャイズ権の獲得を決意し、その後、マクドナルドは急成長を遂げていきます。
マクドナルドは日本でも評判を呼び、多くの大手商社や食品メーカーが、日本国内でのフランチャイズ権の獲得に向けてマクドナルド本社にアプローチしましたが、どの会社もフランチャイズ権を獲得できなかったそうです。
そうした中、「日本のユダヤ人」と異名を取る事業家、藤田田氏が経営する藤田商店がクロック氏の信頼を勝ち取り、日本におけるフランチャイジー契約を獲得しました。
1971年のことです。
日本マクドナルドが大成功した理由(5つのポイント)

その後の同社の飛躍は、ここで改めて述べるまでもありませんが、本書を読む中で、日本マクドナルドが大成功した理由について、次の5つのポイントにまとめることができます。
ポイント1.一号店にこだわった(立地)
同社の創業者にあたる藤田田氏は、一号店の立地に徹底的にこだわったそうです。
「一号店は、必ず銀座に出店したい。日本に文化を広げるためには、発信地である銀座でなければならない」
との思想に基づいていました。
確かに、ユニクロもメジャーブランドとして国内に普及したきっかけは、銀座の基幹店のオープンだったと記憶しています。
話を同社に戻すと、初めから「ハンバーガーを売る」のではなく、「ファストフードという文化を売る」というスタンスが、同社を成功に導いたといえます。
本質的な取り組みが、競争優位をつくる
ポイント2.一号店のオープンの前に、企業内大学をつくった
同社は、銀座に一号店を出店する前に、企業内大学である「ハンバーガー大学」を開校しています。
ハンバーガー大学は、単に店舗でのオペレーションを教えるにとどまらず、同社の経営理念であるQSC&Vの定着や、店舗経営・人材育成に必要な経営学、リーダーシップを教える本格的な企業内大学です。
ちなみに、日本を代表する製造業であるトヨタ自動車も「豊田学園」という企業内学校があることで知られています。
豊田学園が設立されたのは、なんと1938年のことだそうです。
経営には「氷山理論」という言葉があります。
つまり、企業は氷山と同じであり、外から見えるのはほんの一部にすぎません。その本質の大半は外からは見えないのです。マクドナルドやトヨタ自動車における企業内大学も、外から見ただけではその真価は分かりませんが、こうした本質的な取り組みが、競合が容易には真似できない競争優位を生み出しているのです。
3.経営理念:QSC&V
経営理念は、事業の優先順位を明確にしています。
Qは品質、Sはサービス、Cはクリンリネス(=清潔・清掃)であり、Vは、お値段以上の価値を提供するバリューです。
かつての雪印の事例が示すように、外食産業にとって品質のトラブルは致命的なダメージを与えます。
マクドナルドも、かつては鶏肉の品質問題で客足が遠のき、赤字に転落するという経営危機がありましたが、その後は原材料の調達ルートをトレーサビリティ情報として消費者に公開する取り組みなど信頼回復に努め、前述のように過去最高益に至っています。
雪印は品質問題が発生した際の初期対応がよくなかったため、その後、企業存続そのものが大きな危機に陥ったのと対照的な話であるといえます。
また、S(サービス)について言えば、日本マクドナルドが真っ先に取り組んだDXは、モバイルアプリを開発し、そのアプリから消費者の声を満足度アンケートで収集する施策でした。
一時期、同社が店舗を増やしすぎた際に寄せられた「化粧室が汚れている」「店舗が汚い」といった声を吸い上げて、店舗改革に即座に乗り出したそうです。
4.フランチャイジーの選別
デフレブームに乗り、店舗を広げた日本マクドナルドでしたが、店舗拡大一辺倒の戦略を見直すことになり、同時にフランチャイジーの選別にも乗り出します。
- 古くなった店舗のリニューアル
- DXに対応するためのデジタル投資
前述のように、これらに耐えることができるいわゆる個人事業主のフランチャイジーではなく、複数店舗の運営ができるような、有力地場企業が運営するフランチャイジーに集約を進めます。
日本マクドナルドのフランチャイジーは複数店舗を運営する地場の有力企業が多いのに対して、モスバーガーは、脱サラした個人事業主のフランチャイジーが多いことで知られています。
その結果として、日本マクドナルドは3000億円を超える売上で営業利益率も1割近くあるのに対して、モスバーガーは800億円弱の売上高であり、日本マクドナルドの半分くらいの営業利益率しかありません。
もちろん数字の差はフランチャイジーだけではないのでしょうが、プレーヤーの選別は、生産性にも大きな影響を与えているのです。
「産業化する」志
ポイント5.産業化は年商1000億円から
創業者の藤田田氏がこだわったのは、ポイント1で述べた一号店の立地だけでなく、「年商1000億円」という数字に対しても、創業当初から強いこだわりを持っていました。
その理由は、
「やるなら外食の産業化を図らないといけない。産業化と呼ぶには、最低でも年商1000億円は必要」
との志(こころざし)からでした。
「アメリカで流行っているビジネスモデルで儲けてやろう」ではなく、「日本にまだない、外食産業という新たな産業をつくろう」という高い志があり、それに基づいたビジネスモデル設計があったからこそ、クロック氏も藤田氏に、日本市場を委ねたのかもしれません。
このように、日本マクドナルド初の公式ビジネス書である本書は、経営を考える上でも様々な示唆が得られる、必読の1冊であると考えます。
参考:『日本マクドナルド 挑戦と変革の経営』日本マクドナルド株式会社著 東洋経済新報社

