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7年連続で200億「広島マツダ」変革の歴史

2024.03.04
広島マツダは、マツダの自動車を広島で販売している会社です。現在、その事業はクルマの販売や整備にとどまらず、観光・飲食事業やデジタル、人材紹介・派遣や不動産など多岐にわたり、売上高は222.7億円、経常利益4.1億円に上り、広島において確固たる地位を築いています。
自動車関連事業以外への進出を主導した広島マツダの代表取締役会長兼CEOの松田哲也氏に、経営に関するお考えをお聞きしました。

広島マツダは1933年にマツダの2代目社長である松田重次郎氏の次男、松田宗弥氏が広島での販売・整備を行う企業としてマツダモータースを創業したことから始まります。1956年に広島マツダに社名を変更し、2005年に松田哲也氏が6代目社長に就任しました。2011年は海外事業を開始し、FCS(大連)技術開発有限公司に出資、株式会社FCSワールド(現株式会社ブローダ)を設立し、モバイルアプリ事業に進出しました。

2016年には原爆ドームの横におりづるタワーをグランドオープン。その後も広島を拠点とする企業7社をグループ傘下に収め、また企業6社を設立し、拡大を続けてきました。2023年にはホールディングス化し、ヒロマツホールディングスとなっています。

広島の豪雨災害やコロナ禍など経営環境の悪化がありながらも、2014年から7年連続200億円以上を記録している企業です。

目指したのは「マツダ創業の地の自動車販売店」からの脱却

Q:御社はどのような方針のもとで事業拡大を行っていったのでしょうか。

広島マツダ代表取締役会長兼CEO 松田哲也氏

事業の拡大では、「地域の車屋」から「地域の有力企業」へそのイメージの転換を狙いました。行ったのは「これまでの広島マツダをすべてぶっ壊す」です。それまでのわが社は、新卒社員しかおらず中途採用はゼロ、関連会社は数社ありましたが、すべて広島マツダの自動車販売のための付随業務的なものでした。

広島マツダはマツダ創業の地の会社ですから、知名度はありますが、私は決して営業力があるとは思っていませんでした。自動車ディーラーという仕事は将来的には厳しくなると考えていましたし、自動車ディーラーは就職人気ランキングでは下のほうに位置します。休めずノルマは多い、でも給料は安い、そのようなイメージです。

将来は自動車ディーラー以外の道を考えていかなければならない。そのためには多角化が必要だろうと考えました。

私は2005年に広島マツダの社長に就任した際「まずは本業で広島県一番になろう。広島マツダとして勝てるようになろう」と宣言しました。西日本で最大級のショールームを備えた宇品本店をオープンするなど、広島で一番になるための攻めの施策に力を入れました。

同時に多角化することも宣言しました。自動車販売はテリトリーがはっきりしているので、大阪や東京など国内のもっと大きなマーケットへの進出は難しい、ならば海外に行こう。同時に広島で事業を広げるならば、自動車とまったく関係ないことを行っていこう。そのすべてを行う。そう言ったのです。

それから始めたのが、中国人社員の新卒採用です。今は当たり前ですが、当時は目新しかったですね。中国で何をするかはまだ決まっていませんでしたが、まずは人を採ろうと決めて、彼らに事業の組み立てを任せてみることにしました。中国人採用は地元でも話題になり、メディアからの取材も多々ありましたね。

まずは彼らが「新しいことをする存在」と社内に新鮮な空気を入れてくれました。

そして「中国人を採用した」という事実が、FCS大連(現広松大連)というIT企業が「一緒にやりませんか?」と声をかけてくることにつながります。

その会社の要望は「自分たちは開発はできても営業力がない。広島マツダは営業の会社だから、営業をしてくれないか」でした。

それが縁で、中国企業とのつながりが強くなっていきます。その後に別の中国人が入社して、新たな事業が立ち上がったりするようになりました。

まずは自動車販売など、本業の自動車に近いものから中国事業を進めていったのです。

社員の意識を大きく変えた「おりづるタワー」と広島への思い

原爆ドームの横に建つおりづるタワー

広島マツダは原爆ドームのある広島記念公園のすぐ横にある「おりづるタワー」を2016年に建設しました。屋上展望台である”ひろしまの丘”、広島の名品が揃った物産館である”SOUVENIR SELECT 人と樹”、オリジナルメニューを多数取り揃えたカフェ「握手カフェ」などの施設が入る人気複合スペースです。

Q:おりづるタワーのグランドオープンまではどのような経緯があったのでしょうか。

広島マツダは「広島の人たちに育ててもらった会社」だと思っています。その思いが、自分たちのDNAとしてあります。

ですから、広島の地に恩返しをしたいという思いが前々からありました。

そして、私がおりづるタワーの前身となる建物を見学した際に、その屋上から見た広島の光景に心を奪われたんですね。

広島マツダの創業者である私の祖父も、原爆で亡くなりました。原爆で街は廃墟と化しましたが、そこから復興を果たした広島の姿を全世界の人々に見てもらう、明るい姿、発展の姿を見せることこそが世界の希望になれる、そう考え、安くはない金額でしたが、購入を決めました。

購入したならば、デザインや設計、コンセプトづくりも自分たちで行いたいと考え、進めていったのです。もちろん専門的なところはプロに行ってもらっていますが、考え方や思いは広島マツダのみんなでアイディアを出し、話し合いを重ねて決めています。

2010年からおりづるタワーの建設に向けたプロジェクトが開始し、タワーの中に入る物産館の商品選別や陳列といった細部まで社員で考えています。

2016年のおりづるタワーの完成で、社員の意識が大きく変わったのです。それまで社員の頭の中には「自分たちはクルマ屋」という思いがあったのですが、「こんなにすごい建物をつくれた」という成功体験を得たことで「自分たちはなんでもできる!」とマインドブロックが外れて、それからは次々に自動車にとどまらない新規事業が立ち上がるようになりました。

そこから一気に多角化が進んでいます。

おりづるタワーの展望台からの夜景

「楽しんだほうがいい」

Q.広島マツダは多くの企業をM&Aで傘下に収めています。どのような基準に基づいてグループインする企業を決めているのかと、新規事業も既存事業とのシナジーなど、どういったことを大事にしているかを教えてください。

M&Aは「お話をいただく会社の経営者との相性や社風」で決めています。広島マツダはこれまで「攻めの姿勢」で拡大してきました。広島マツダが行うM&Aは元の経営者にそのまま残ってもらう形にしており、ジョインいただくわけですから、経営者は大事です。前向きな考えを持ち合わせている人ならば、財務状況のチェックやデューデリジェンスなどの細かい調整はあとで行っていけばいいと考えています。

細かい分析結果に基づく予想よりも「頑張れば利益が上がりそう」という絵が見える。「買収には10億円必要だが、毎年1億の利益が出るなら10年で回収できる」といったわかりやすい計算を根拠にしています。

細かい条件を分析していった結果で決まった話はありません。まずは大きなところで共鳴できるか、それが大事と考えています。

事業を行うのは社員です。経営について学んでいない人もいますから、経営者でなければわからない数字ばかりで説明しても、ついてこれないですから。

10秒先の未来すら、誰も知ることはできません。わからないならば、楽しんだほうがいいと考えています。

M&Aも新規事業も「やりたい人がやろう」という考えです。

既存事業との相乗効果も最初は考えましたが、さまざまな事業が動くようになってからは、まったく意識しないようになりました。資産状況はもちろん見ますが、それよりも当期利益が出やすいかどうか、ちゃんと回収できる見込みが立つかというわかりやすい指標を大事にしています。