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5000億円の借金からV字回復!歴史に学ぶ中小企業の経営再建術【薩摩藩】

2026.07.24
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5000億円の借金からV字回復!歴史に学ぶ中小企業の経営再建術【薩摩藩】
今回はいつもと趣向を変えて、歴史上の人物から、「究極の経営再建」を学んでみませんか。あまり知られていませんが、圧倒的な経営再建を成し遂げた江戸時代の隠れたダークヒーローをご紹介します。

解説:船井総合研究所 山内淳史

INDEX

少し想像してみてください。自社が年商130億円規模であるにもかかわらず、約5000億円という途方角もない借金を抱え、利息の支払いだけで利益が飛ぶ。

借金を理由に営業部門や生産拠点への投資ができない。早期退職に申し込む人もいない。東京支社は自社ビルの大規模修繕が必要に。しかも、わがままな会長が「この機会に東京本社をもっと豪華にしろ。船井総研なんかより、もっといいオフィスにするんだ」と言っている。どう考えても絶望です。

実はこの状況、実際にありました。1830年代、天保期における薩摩藩(現:鹿児島)がそれです。収入13万両に対し500万両の借金を抱え、利息の支払いで収入が飛んでいく。しかも必要以上に多くの武士を養い、火事で焼けた江戸屋敷をもっと豪華にしろと重鎮たちが好き放題言っている。まさに八方塞がりでした。

でも、この環境から見事に藩の経営を建て直した人物がいました。それが今回ご紹介する江戸期の名CFO、調所広郷(ずしょ ひろさと)です。
彼を一言で表すなら、薩摩が飛躍するための土台を築いたダークヒーロー。
彼がいなければ明治維新もいまとは違ったものになったでしょうし、西郷隆盛や大久保利通の活躍もなかったかもしれません。
「それにしては知名度が低いのでは?」…ちゃんと理由があります。調所がやったこと、それは借金踏み倒し、独占販売、密貿易といった「汚れ仕事」だからです。
現在の価値観で彼を手放しに評価することはできませんが、財政再建を一手に引き受け、250万両を蓄財したのは事実です。経営のヒントをもらうためにも、詳しく見ていきましょう。

下級武士・調所広郷を登用する思い切った人事


調所広郷(Wikipediaパブリックドメインより)

調所は、「茶坊主」という下級武士の役職からキャリアをスタートさせました。当時の役職は世襲が基本であり、現在でいう役員クラスには絶対昇格できない立場でした。
しかし、薩摩藩 第8代藩主の島津重豪(しげひで)が、調所の実務能力を見抜いたのです。調所は1830年、54歳のときに、藩の財政面を中心とした改革責任者に出世しました。
抜擢を受けた調所は、恩に報いるべく、大改革に着手したのです。

【現代に生きる学び】

組織が危機にあるとき、これまでの常識や「しがらみ」にとらわれた人間には、抜本的な改革はできません。トップクラスの能力を持つ専門人材を特命チームとして社内外から引き抜く「思い切った人事」が不可欠です。

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▼ 記事の後半では、こちらについて紹介しています。

☑ 調所に学ぶ限界ギリギリ究極の「借金交渉」
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☑ 江戸のお侍も「越境EC」へ新規参入?

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第1章 究極の借金交渉

調所が最初に着手したのは、最重要課題である500万両もの借金処理でした。
彼は1835年の暮れ、メインバンクともいえる大坂の有力商人たちに、こう呼びかけました。

「かねてよりの借財、ようやく返済の目途が立ち申した。返済にあたりわが藩の帳簿と照合したいため、借財の証文を一時お預かりいたしたくござる。ご持参くだされ」

半信半疑ながらも商人たちは屋敷に向かい、証文を調所に渡しました。
すると調所は、屋敷の庭にたき火を起こし、証文の束をたちまち火にくべて燃やしてしまったのです。

「調所はん、なにしとるんや!?」

驚く商人たちに向けて、調所はこう言い放ちます。

「これでいまの借り入れは無効じゃ!でも安心せい、借りた分は確実にお返ししよう。ただし返済は、250年分割・元本のみとする」


金利0%の250年払い。
これで、借金は実質的に消滅したことになります。
とはいえ、これは権力を盾にした強引なリスケであり、当時の商慣習から見てもあまりに非常識な対応でした。当然、大坂商人からは「ふざけんな!」「いてまうぞボケ」と、ブーイングの嵐。
ここで調所の名CFOぶりが光ります。彼はこう言い切ったのです。

「不満がある奴は、おいどんを煮るなり焼くなり好きにするがいい。代わりと言っては何だが、いま琉球から薩摩へ、秘密裏に抜け荷を持ってきておる。これをお前たちに、大坂で独占販売させてやる。奄美の黒砂糖に、唐物の漢方も絹布もたんまりじゃ。金になるぞ」

抜け荷については後ほど詳しく説明しますが、とにかく債権者の大坂商人へ「高利益率商品の独占販売権」という「アメ」を用意したわけです。

【現代に生きる学び】

資金繰りが限界にきている企業が最初に行うべきは、成長戦略ではなく「止血」です。借入を抑え、手元資金を守ります。借入本数を減らす、一本化する、条件の良い借り方を常に調査検討する、などが思いつきます。

ただし、銀行側にただお願いするだけではなく、

  • 金融機関に自社の情報を適切に開示し、どれぐらい借り入れればよいのかを明らかにする。
  • 月に1度を目安に銀行とコミュニケーションを取り、事業戦略と財務状況について意見交換し、パートナー関係を構築しておく。

このように、相手に安心材料(アメ)を出せば、反発を抑え、協力を引き出せる可能性が高まります。

第2章 自社の強み「選択と集中」

借金によるB/Sの問題は解消しましたが、これは一時しのぎ。調所はP/L改善のため、藩の強みを徹底的に伸ばす戦略に出ます。
当時の豊かさの象徴といえばコメでしたが、薩摩はコメが育ちにくい土壌でした。一方、薩摩藩の支配していた奄美群島では、江戸中期からサトウキビが採れるようになっていました。
当時、砂糖は非常に貴重な品でした。室町時代にポルトガル人が日本に紹介した「コンフェイト」が「金平糖」と呼ばれ、認知こそ広がっていましたが、まだ庶民が食べられるものではなく、大坂の市場では高値で取引されていました。
砂糖の価値に目を付けた調所は、サトウキビの採れる奄美大島、徳之島、喜界島の島民に対し、過酷なルールを新たに制定しました。

「こっそりサトウキビを食うやつがいたら、むち打ちに処す。勝手にサトウキビを売却、横流しした者は死刑じゃ。分かっておろうな」

サトウキビは三島方という各島の役所に集約し、低価格で藩がすべて買い上げ、1カケラも無駄にせず大坂へと運搬させます。輸送もこれまで外注していましたが、専用の船を造り、内製化。これにより輸送コストを下げました

運んだ砂糖は大坂の中央市場に持ち込み、莫大な利益を乗せて販売します。こうして強化した砂糖販売事業の売上は、10年で235万両(改革前の2倍弱)。まさに主力事業となったのでした。

【現代に生きる学び】

奄美群島の島民に対する扱いは大いに問題ですが、自社の一番儲かる事業に投資を一点集中させ、短期間で莫大なキャッシュを生み出したという点では成功しています。
南国という土地の強みを活かし、砂糖という当時まだニッチだった市場を支配。さらにクローズドな販路へ流すことで高付加価値商材とし、利益を確保しました。
こうした長所伸展×狭属性一番化戦略は、現代の中小企業でも実践して成功を収めている、弱者戦略の王道と言えるでしょう。

第3章 「越境EC」に新規参入

調所の戦略の中で最大の資金源となったのが、琉球(沖縄)経由での密貿易です。
蝦夷(北海道)で採れる高品質な昆布やナマコは、清(中国)が高値で買い求める、日本の重要な輸出商材でした。江戸幕府はこれを「俵物」と称し、公式貿易品として扱っていました。
一方の調所は、蝦夷で採れた昆布や高級なナマコ等を、新潟港でこっそり薩摩の船に乗せ換え、琉球へと運ばせました。清の商人には「これは日本の品じゃない、琉球の品物だよ」と偽って販売していたそうです。
そして琉球からの帰りには清・琉球の漢方や絹織物といった名産を仕入れさせ、大坂で秘密裏に売りさばき、莫大な利益を手にしたのです。

ただし、これは極めてリスキーな取引でした。
当時、江戸幕府は清国と「正式な」貿易を行っていました。一方の薩摩藩は、将軍家との縁戚関係を理由に、幕府の取引に影響が出ない範囲に限り、琉球経由の貿易を「特別に」認められた立場でした。
そのような状況下で、ルールを大きく逸脱した密貿易が幕府にバレれば、調所はタダでは済みません。
しかし調所は、巧妙に隠蔽工作を施しながら大規模な密貿易を推し進め、先述した大坂の商人たちへ次々と品物を卸しては利益を積み重ねていきました。実際、密貿易で具体的に何がどれほど取引されたのか、詳しいことはわかっていません。
あわせて、物流網を活かし、清国で行われていたアヘン戦争の動向など、世界情勢に関する情報を多々手に入れたと言われています。これも明治維新の後押しとなりました。

【現代に生きる学び】

調所が行った密貿易は、それまでのBtoBtoCから、自社流通網を活用したBtoCへの転換と言えます。
現代でも、「北海道ブランド」は海外から人気です。eBayやShopee、アリババのプラットフォームを通じて、米中の巨大市場へ直接販売し売上規模と利益率の桁を飛躍的に跳ね上げる事業者の例は、食品メーカーやリユース企業などで多々見られます。
逆に、海外から日本の商流においては、国内小売店が欲しがるコスメ商品や健康サプリを、現地のメーカーと独占契約を結んで輸入することで、高い利益率で卸すことができます。
ただし、BtoCのモデルは、BtoBtoCよりも多くノウハウが必要になる上、リスクがあります。EC支援ツールや販売代行業者とのネットワークづくりなど、リスクを下げる努力を徹底する必要があります。

最期は自殺を遂げた

数多くの型破りな改革を断行し、巨万の富を築いた調所広郷。
しかし、最後は幕府の老中・阿部正弘に密貿易の証拠を掴まれそうになり、1849年に江戸の屋敷にて不審死を遂げます。服毒自殺の説が有力ですが、真相は定かではありません。
ともあれ、調所の死によって口封じがなされ、幕府は薩摩藩の責任を追及できませんでした。
そして、調所の死後に財務を確かめてみたところ、薩摩の武士たちは腰を抜かしました。かつて500万両(5000億円相当)の借金に苦しんだ薩摩藩が、20年で250万~300万両(2500億円以上)の純資産を蓄積していたのです。

調所広郷が行った施策の数々は、現代の倫理観や法令に照らし合わせれば到底許されるものではありません。が、藩の危機を救うため、大胆な施策を打ちだし、実行して、成果をあげた点は評価できます。
経営者が「倒産」や「債務超過」といった絶望的な状況に瀕したとき、調所の見せた徹底的な合理性と責任感、最後までやりきる力は、歴史から学べる一つのモデルケースであると言えそうです。

参考文献

・江戸のCFO 藩政改革に学ぶ経営再建のマネジメント(大矢野栄次、日本実業出版社)
・調所笑左衛門: 薩摩藩経済官僚 (佐藤 雅美、学陽書房)
・斉彬に消された男―調所笑左衛門広郷(原口 虎雄、草思社)
・悲劇の改革者 調所笑左衛門: 幕末の薩摩藩(台明寺 岩人、南方新社)
・どうころんでも社会科(清水義範、講談社)
・調所広郷(下) 金灯籠に込めた思い調所 産経新聞


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