高知に学ぶ『ローカルブランドの育て方』
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2026.05.15
コンサルタントの三浦康志が、国内外の先進的な事例・びっくり事例を視察してレポートします。今回は高知県の視察レポートをお届けします。高知には、ローカルブランドを育て、発信する強力なパワーがありました。
INDEX
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プロフィール
- 話し手:株式会社 船井総合研究所 三浦 康志
- あらゆる業種・業態・組織の「グレートカンパニー化支援」をコンサルティングテーマとする。その主な具体策は、人財開発、人財育成。自ら組織を運営、活性化し、業績を改善できる自律的な人財づくりを、様々な観点での研修やコンサルティングで支援する。国内視察研究会主宰。著書に、『ウォルマートの新人間主義経営』、『ありがとうノート』(ビジネス社刊)がある。
① 馬路村 (うまじむら)
馬路村は高知県の山間部にある人口900人ほどの小さな村です。村の面積の96%は山林で、かつては林業の村でしたが、現在は「ゆずの村」に変貌を遂げています。この村を一躍有名にしたのが「ぽん酢しょうゆ」。地元産の「ゆず」をたっぷり使ったおいしさが評判を呼び、全国各地のスーパーに出荷されています。馬路村農協は、林業に代わる新たな産業として、この地に昔からあったゆずを特産化。生果販売ではなく、さまざまな加工品にすることで付加価値を高めて、村を支える産業に育てあげたのです。馬路村がどのようにゆずをブランド化してきたのか現地で探りました。
②ひろめ市場
「酒の国」と呼ばれる高知は、酒の楽しみ方も多彩です。その代表格が高知市の中心部にある巨大な屋台村「ひろめ市場」です。カツオのたたきをはじめとする高知の郷土料理と酒を提供する店がひしめき、観光客と地元住民で常に賑わっています。ここに行けば誰でも、高知ならではの「おきゃく(土佐弁で「宴会」)文化」を味わうことができます。「おきゃく」は一般的な飲み会とレベルがちょっとちがいます。
③高知よさこい情報交流館
「♪土佐の高知の はりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た~」この歌詞をみなさんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。高知の民謡「よさこい」です。この曲に合わせて高知の人々が舞い踊る盛大なお祭りが「よさこい祭り」です。この祭りがユニークなのは、高知から全国各地へ伝播して定着していったことです。なぜそんな不思議なことが起こったのでしょう?
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馬路村農協──人口1000人未満の村が生んだ柚子の6次産業化
馬でしか行けなかった辺鄙な村に、単独農協がある奇跡
馬路村というと、その名のとおりですね、馬でしか行けないような狭い道を川沿いに登っていく、本当に辺鄙なところです。村です。人口は1000人を切っています。
そこに単独農協があるということ自体、まずすごいことですよね。合併せずに、単独で十分な収益性を持つ事業を運営しているからこそ、単独でやっていける。そして村自体も合併せずに、1000人を切っているのに、単独の地方自治体として活動しています。
これは馬路村農協の活躍によるところが非常に大きいと言っていいかと思います。
「絞る」という発想が高齢化の壁を越えた
馬路村農協の製品は柚子です。柚子製品の6次産業化が大成功し、そして今も大成功し続けている農協です。売上は30億から35億円と言われています。1000人を切る村で30億、35億の事業体があるということは、とてもまれなことだと思います。
ただし、柚子製品を販売するという事業は何も馬路村の専売特許ではありません。周辺の市町村にも、馬路村より先に柚子製品の販売に力を入れた自治体は多くあります。
ではなぜ馬路村が頭抜けることができたのか。
それは6次産業化に力を入れたということだと思います。柚子を栽培している地域は、この山里にいっぱいあります。しかし馬路村はそれを農産品として販売するのではなく、柚子加工品としての生産を自分たちで行った。ここがまず重要なポイントです。
具体的に何をしたかというと、「絞った」のです。
高齢化とともに、柚子本体としての出荷は非常に手間がかかり、高齢化世帯にはなかなか難しい。しかし絞ってしまえば、形や色といった外観は関係なくなります。この発想の転換が大きかったのです。
ポン酢と「ごっくん馬路村」──2つの看板商品
では、絞った柚子を何に使うか。ここが非常に上手でした。
2つの看板商品があります。1つが柚子ポン酢です。高知県には昔から、酢の代わりに柚子でお寿司を作るという食文化があります。ですからポン酢にも、醸造酢の代わりに柚子を使うという発想が自然に生まれ、実践されました。
もう1つの看板商品が「ごっくん馬路村」という柚子ドリンクです。柚子単独だと酸っぱいので、蜂蜜を混ぜて、蜂蜜と柚子の原液を水で割ったものです。柚子蜂蜜飲料というジャンル自体は他にもあるのですが、馬路村の特徴は無添加であるということ。柚子と蜂蜜と水以外は使っていません。このこだわりが、「ごっくん馬路村」を特別な商品に押し上げていきました。
宅配便すら来なかった村から始まった「直販」への挑戦
そして、これらの柚子製品を馬路村農協は直販した。これが非常に重要なポイントです。
6次産業というのは1次・2次・3次のすべてを行うという意味ですが、この田舎で活動している農協が直販にまでチャレンジしたということがすごく大きいと思います。
今ならインターネット通販で簡単に始められますが、始めた当時はインターネットもない。しかも馬路村は田舎すぎて、宅配便会社が集荷に来てくれなかったそうです。最初の頃は近くの大きな町まで荷物を持っていかなければならなかった、というエピソードも伺いました。
宅配便が全国に網の目のように広がる時流に乗り、馬路村まで配送・集荷の体制が整った。そこから電話、はがき、ファックスというオールドな媒体を使って直販が始められました。
みんな素人で始めたそうです。でも、それを諦めずに続けた。その積み重ねが、現在の30億、35億という売上につながっているわけです。
もちろん今は直販が100%ではなく、特にポン酢はスーパーの棚にもよく並んでいます。全国的に問屋さんを通じた流通にも成功しています。しかし現在でも、あくまで直販を重視している。これが馬路村農協の6次産業化成功の核心だと感じました。
ほっぺたの赤い少年──プロパガンダ芸術に通じる広告戦略
そしてもう1つ、重要な成功要因が「販促」です。
馬路村の広告媒体、特にダイレクトメールでよく使われるのが、下手うまな少年の絵です。ご覧になったことのある方も多いのではないでしょうか。この絵を見ると「あ、馬路村だ」と多くの人が直感的にわかる。それほど同じキャラクターで、同じスタイルで、同じ方法を繰り返し訴求してきたことが、今、馬路村の大きな財産になっていると思います。
一度「馬路村の広告」と検索してみていただきたいのですが、子どもが主役なのです。特にガキ大将のような男の子がメインキャラクターです。名前はありません。村にいそうな子どもです。平面的な筆書きっぽい絵で、この少年は必ずほっぺたが赤く描かれています。白黒の広告であっても、ほっぺただけは赤い。それが田舎の少年という雰囲気を見事に醸し出しています。
おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんが登場することもありますが、あくまで少年の目から見た大人という仕立てになっている。子どもが主役であるということは、明るい未来を反映しているように感じます。馬路村はすごく田舎だけれど、それをポジティブに捉え、野山を走り回るガキ大将がいる。そんな村で採れた柚子であり、そこで加工された製品なのだ──そういうメッセージが強力に伝わってくるのです。
私はこの広告を見て、かつてのソ連や東欧の共産国で大量に発刊されたプロパガンダポスターとの共通点を感じました。非常に平面的な絵で、文字は少なく、ぱっと見れば何を言いたいのかがすぐわかる。シンプルなメッセージを発する広告という点で、効果的な広告の原則が両方に共通しているのだと思います。
馬路村の広告には、絵とともに手書き文字が添えられています。方言です。高知弁で少年が話している。これもすごく大事なポイントですね。
この広告を手がけてこられた方は、そろそろ引退の年に差し掛かると訪問時に聞きました。仮にその方が引退されても、このスタイルは絶対に踏襲すべきだと強く思いました。ウォルト・ディズニーはとっくの昔に亡くなっていますが、彼の描いたミッキーマウスは今でも生き続けているわけです。
これができるかどうかが、次の時代の馬路村農協のさらなる発展に大きく関わってくるでしょう。今後も注目していきたいと思います。
ひろめ市場──土佐の「おきゃく文化」を体現するローカルフードコート
バブル崩壊の遺産から生まれた市場
次にレポートするのは、ひろめ市場です。
ひろめ市場は今や高知市を代表する観光目的地として、さまざまな観光ポスターにも使われています。しかし実際に行ってみると、流行っているのはわかるけれど、なぜこれがそこまで高知で有名なのかが、他県の人には最初ちょっとわかりにくいかもしれません。
このひろめ市場は、高知県──あるいは土佐の「おきゃく文化」を体現しているところが、高知にとって非常に重要なポイントなのです。
ひろめ市場がある場所は街の中心部で、非常にいい立地です。よくこんな場所にこれだけの広い面積の再開発余地があったものだと思いましたが、これはバブル崩壊の遺産なのだそうです。バブル期に高度開発の計画があったものの頓挫し、土地が塩漬け状態になった。なんとかしようということで、低層階でもいいから何かやろうと、地元のお店が集まる市場型の商業施設が生まれました。
ワンフロアだけです。2階と屋上は一般の方も利用できる駐車場になっています。
最初の5年間は鳴かず飛ばず
初めは飲食店以外にもさまざまな業態が入っていたそうですが、だんだんと飲食店の比重が高まっていきました。最初の5年間は鳴かず飛ばずの状態が続いたそうです。経営体制を刷新し、新たな体制で再出発して、今のひろめ市場の形態になっていったのだと伺いました。
一言で言うなら、ひろめ市場は「ローカルフードコート」です。飲食店ばかりではありませんが、地元のお店が集まり、高知の名物が食べられるフードコートです。
他店の料理を持ち込んでいい──ユニークな相互乗り入れルール
ただし、イレギュラーな点もあります。席を持っている飲食店も入っているのです。試行錯誤を重ねてきた結果、そういう形態になったのだと思います。
ではフードコートの共有席ではなく、席を持っているお店はどういう扱いになっているか。なんと、そのお店にも他のお店の料理を持ち込んでいいというルールになっています。これはとてもユニークで、お客にとっては嬉しいルールですよね。
さらに、共有席における食器の片付けはひろめ市場側が行うというルールも設けられています。日本のフードコートとしては非常に珍しいことです。
お話を伺うと、たくさんのお店に出店してほしいから、各店内に洗い場を設けるのは大変だろうということで、共同の皿洗い場を作り、デベロッパー側が洗って各店に戻すという仕組みにしたのだそうです。当時の高知は屋台文化が非常に盛んだったこともあり、保健所のアドバイスも含めて、衛生面を考慮した結果でもあったのかもしれません。
8人席が生む「相席文化」と土佐のおきゃく精神
最初に「ひろめ市場は高知の宴会文化を表しているから高知名物なのだ」と申し上げましたが、その象徴が共有席のテーブルを8人席にしたことです。これは最初から意図的に企画されたものだそうです。
8人席にすると、2つのグループが相席になることがある。それを狙ったのだと。できれば地元の方と観光で訪れた県外の方が同席できるといいな──そういう発想から生まれたルールでした。
現在、まさにそうした光景が多く見られます。ひろめ市場は昼飲み大歓迎の場所ですから、観光客はいつ飲んでもいいし、それに合わせて地元の方も昼から飲んでいます。高知の方はお酒が強いというイメージがありますが、地元の方と観光客が同じテーブルで乾杯しながら、それぞれが買ってきたものをおすそ分けし合う。そんな光景こそが、ひろめ市場を高知の名物観光施設に押し上げたソフト面の要因ではないかと思います。
高知名物のカツオのたたきの有名店、夜のお酒のあてとして名高い揚げ餃子の店──そうした有名店が軒を連ねているのも魅力です。物販店も入っていて、すぐにテーブルで食べられるよう少量パックで売られています。うつぼの唐揚げ、土佐の地鶏の焼き鳥。とても土佐らしい料理が並んでいます。
だからここは午前中からテーブルを取るのが難しいほど、いつ行ってもにぎわっています。
商店街がまるごと宴会場に──「おきゃく」という祭事
私たちが訪れたのは2月でしたが、そのとき「3月になると高知では"おきゃく"という祭事がある」というお話を聞きました。
どんな祭事かと尋ねると、高知中心市街地のアーケード街がまるごと大宴会会場になるイベントだと。言ってみれば、ひろめ市場が商店街に広がったようなイメージだということです。
残念ながら私は写真でしか見たことがないのですが、もうすごいのです。商店街の中に簡易な畳を敷いて座卓を置き、さらにこたつまで道路沿いに数多く展開される。予約が必要で有料だそうですが、周辺のお店で買ってきたものをそこで食べて飲む。座卓とこたつにこだわるというところが、やはり高知の宴会文化のすごいところだと感じました。「宴会といったら畳。座らないとだめだ」という意識が、高知の方には今でも強いのですね。
商店街だけでなく、周辺の広場や公園にも席が出され、そちらはテーブルと椅子で無料で使えるのだそうです。ひろめ市場の「おきゃく活動」が、高知を代表する祭事にまで発展したということ。これはひろめ市場のおかげではないかと思います。
高知よさこい情報交流館──戦後生まれの祭りが阿波踊りを超えた理由
戦争と南海トラフ地震、ダブルパンチからの復興
最後にご紹介するのが、高知よさこい情報交流館という施設です。
高知というとよさこい祭りが全国的に有名ですが、4日間で100万人の観客を集めるという高知最大のイベントです。それがどのようなもので、どのように発展してきたのかを公開しているのがこの博物館で、ガイドの方に丁寧に案内していただきました。
日本の祭りというと、非常に古くから続いているのがよくある話ですが、高知のよさこいは戦後生まれです。ここにまず驚きました。
隣の県・徳島の阿波踊りは、はっきりとはわからないものの戦国時代くらいからあると言われています。高知の人たちは隣にこれほどすごい祭りがあることをうらやましく思い、自分たちもこんな祭りをやりたいと、徳島まで視察に行って学んだのだそうです。
そして「戦後」というのが1つの重要なポイントです。戦争からの復興という側面だけでなく、南海トラフ地震からの復興でもあるのです。今でも南海トラフ地震がいつ起きてもおかしくないと言われていますが、この地震が起きたとき最大の被害を被る県は高知県だとされています。特に津波の被害は、高知県がほぼ全域で受けると言われている。
戦後間もない時期に前回の南海トラフ地震が起こりました。高知にとってはまさにダブルパンチだったわけです。だからこそ復興への思いはとても強く、その気持ちがよさこいという祭りになって現れたのだということでした。
武政英策が提唱した「最低限のルール」
どんな祭りにしようかと試行錯誤する中で、最も貢献されたのが武政英策さんという方だそうです。歌謡曲の作詞作曲家で、「南国土佐を後にして」の作者でもあります。
この方が、よさこい祭りの方向性を検討する場でこう言われたそうです。
「郷土芸能は民衆の心の訳。どこの誰々が作ったかわからないものが、忘れられたり間違ったりしながら次第に角が取れ、シンプル化していくもの。要は民衆の心に受け入れられるかどうか。よさこい、鳴子踊りも時代とともに変わっていく」
これがまさに、よさこいをよさこいたらしめるものになったのです。
具体的には、決まり事を最低限にするということを武政さんは提唱しました。それさえ守れば、あとはどうにでも変化していけばいい。時代によって、地域によって、と。
そのルールはたった2つです。
1つ目は、よさこい節の一節を曲の一部でいいから入れること。あのお坊さんがかんざしを買ってという、あの歌ですね。
2つ目は、鳴子を使うこと。鳴子というのはカスタネットのような打楽器で、両手に持って踊るのがよさこいの特徴です。もともとは田んぼでスズメを追い払うための道具から発想されたのだそうです。
この2つさえ守れば、あとは自由にアレンジしてよい。いや、どんどんアレンジしてください、と。
サンバ風もジャズ風もなんでもあり──拡散を可能にした「自由」
このルールによって、よさこいにはさまざまなアレンジが加えられるようになりました。サンバ風、ジャズ風、なんでもありです。毎年新しいよさこいが出てくる。その新鮮さが祭りの人気に勢いをつけ、よさこい祭りはどんどん大きくなっていきました。
そして高知にとどまらず、北海道からよさこい踊りを見に来た人たちが「これを札幌でもやりたい」と始めたのが、よさこいソーラン節です。創始者・武政さんが提唱した「ルールは極力シンプルに、アレンジは地域や時代とともにどんどん新しくしてほしい」という思いが、まさに札幌に飛び火して、ソーラン節とよさこいが合体した。
博物館には、全国各地でどのようなよさこい踊りが展開されているかが展示されていました。本当に全国津々浦々です。
ですから、よさこいはお手本にした隣県の阿波踊りを超えたと言っていいのではないかと思います。もちろん阿波踊りも徳島出身の方を中心にさまざまな場所で広がっていますが、よさこいの広がり方はそれを大きく凌駕するものです。
よさこいが毎日見られる高知へ
このよさこいという祭りが地域の町おこしに大きく貢献し、それがさまざまな地域に広がり、その土地のものと融合して踊られている姿は、本当に素晴らしいものだと思います。
私は阿波踊りは本場で見たことがありますが、よさこいはまだ見たことがありません。やはり祭りの時期はホテルが取れませんし、高知への日帰りもなかなか難しい。行きたくても行けないというのが正直なところです。
だからこそ、よさこいは8月の4日間にとどめず、先ほどのおきゃくのように別の時期にもぜひやっていただきたいと思うのです。実際、3月のおきゃく祭事ではよさこい踊りが登場するそうですし、第1回のレポートでお話しした星野リゾートの「OMO7高知」では、毎日スタッフによるよさこい踊りが披露されています。
地元の方にそんな話をしたら、「やりすぎると飽きる」と言われました。「それはあなたたちでしょう」と私は返しました。よその県から来る人は飽きません、と。
よさこいが毎日見られる高知になれば、もっと高知は活性化するのではないか。視察を通じて、その思いを強くしました。
馬路村の柚子加工品に見る6次産業化の力、ひろめ市場に息づく土佐のおきゃく文化、そしてよさこいに込められた復興の精神と自由の哲学。いずれも、地域に根ざした人々の知恵と情熱が生み出したものでした。
高知にはまだまだ学ぶべきことがたくさんあります。私自身、次はぜひ本場のよさこいをこの目で見届けたい。そしてその熱気を、また皆さんにお届けしたいと思っています。

