静かな職場は、なぜ危ないのか ――社員は「不満」を言わない。でも必ず「行動」で示す
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2026.05.08
労働問題の解決が専門の弁護士による「あなたの会社の労働問題に解決策を説く」4回にわたる連載です。1回目のテーマは「危険な静かな職場」です。
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あなたの社員の「機嫌」はいいか?

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朝、事務所に出勤すると、社員たちはすでに席に座っています。挨拶はします。指示を出せば動きます。仕事はこなしています。でも、何かが足りない。笑い声がない。雑談がない。誰かが何かを言いかけて、途中で止まる。そういう職場が増えています。
経営者はその空気に気づいています。気づいているから、対策を打とうとします。リーダーシップの本を読む。組織論のセミナーに出る。心理的安全性、エンゲージメント、1on1。学んで、試して、また学ぶ。それでも職場は変わりません。社員は相変わらず静かなままです。本棚に並んだビジネス書の背表紙を見ながら、「なぜ効果が出ないのか」と首をかしげる経営者は、決して少なくありません。
この「静けさ」の正体を、経営者はなかなか掴めません。なぜなら、静かな職場には2種類あるからです。1つは、本当に穏やかで安定した職場。もう1つは、不満と諦めが充満しているのに、誰も口に出せない職場。外から見ると、この2つはよく似ています。しかし中にいる人間には、空気の重さが全く違います。
私は弁護士として、多くの労働事件を会社側の代理人として対応してきました。その経験から言えることがあります。問題が起きる前の職場には、必ずと言っていいほど「重い静けさ」があります。経営者が「突然こうなった」と言う職場は、ほぼ例外なく、ずっと前からこの状態でした。
中小企業の組織づくりで必要なことは、突き詰めれば1つです。働く人の機嫌がいいこと。それだけでいい。
機嫌がいい人間は、自分から動きます。助け合います。少しくらい理不尽なことがあっても、笑って流せます。逆に、機嫌が悪い人間が1人いるだけで、職場の空気は一変します。不機嫌には、強烈な感染力があります。1人の不満が表情に出る。それを見た隣の社員が萎縮する。萎縮した社員の態度が、また別の誰かに伝わる。気づけば職場全体が、重い空気に覆われています。
中小企業はこの影響を特に受けやすいと言えます。人のつながりが強いことが、中小企業の最大の強みです。しかし同じ理由で、1人の感情が職場全体に伝染するスピードも速い。10人、20人の組織では、たった1人の不機嫌が、その日の仕事全体の質を変えてしまうことがあります。大企業では分散される影響が、中小企業では直撃します。経営者が現場の空気を軽く見ることができないのは、まさにこの構造があるからです。
経営者の目線が中に向いていないか?

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ここで、経営者の方に1つ問いかけたいことがあります。あなたは最近、自分の時間とエネルギーを、何に使っているでしょうか。
気づけば、社内のパワーバランスを取ることに追われていないでしょうか。あの社員とこの社員の関係が悪い。あの部署の雰囲気が良くない。誰かが不満を持っているらしい。こういったことへの対応に、経営者としての貴重なリソースが消えていきます。
しかし、考えてみてください。利益は会社の外にしかありません。顧客がいて、市場があって、そこに価値を届けることで、初めてお金が入ってきます。社内にあるのは経費だけです。本来、経営者の目線は外に向いていなければなりません。新しい顧客をどう開拓するか。既存の顧客にどう応えるか。市場の変化をどう読むか。そこにこそ、経営者のリソースを使うべきです。
それなのに、いつの間にか社員の機嫌を取ることが経営の中心になっています。これでは事業になりません。外に向けるべき目線が、社内の空気の調整に消えていく。この逆転現象が、気づかないうちに会社の競争力を奪っています。
AIで代替すればいい、という声もあります。確かに、テクノロジーの進化は目覚ましい。しかし中小企業にとって、それは言うほど簡単なことではありません。システムを導入する費用、運用できる人材、業務との相性。こういった現実的な壁が、中小企業の前には厚く立ちはだかっています。
結局のところ、中小企業の現場を動かしているのは、今日も生身の人間です。その人間の機嫌が、職場の生産性を直接左右しています。この現実から逃げることはできません。
「アットホームな職場」に潜む闇

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では、なぜ社員の機嫌は悪くなるのか。そしてなぜ、経営者はそれに気づけないのか。ここに、この連載で伝えたいことの核心があります。
人間は社会的な動物であり、本音をそのまま口にするとは限りません。これは性格の問題ではなく、人間の本質に近いものです。関係を壊したくない。嫌われたくない。波風を立てたくない。こういった感情が、本音の上に蓋をします。特に、社長との距離が近い中小企業ではその傾向が強くなります。「言ったら何か変わるかもしれない」ではなく、「言ったら関係が終わるかもしれない」という恐怖が先に立ちます。
アットホームな職場、と表現する経営者は多くいます。本人はそれを長所として言っています。しかし皮肉なことに、アットホームな職場ほど「言えない空気」が醸成されやすいのです。家族のような関係だからこそ、水を差すことへの抵抗感が強くなります。「こんなことを言ったら、空気が壊れる」という感覚が、社員の口を閉じさせます。
その結果として生まれるのが、静かな職場です。平和に見えますが、平和ではありません。不満が言葉に出ないだけで、確実に蓄積されています。
では、その不満はどこへ行くのか。消えるわけではありません。必ず、別の形で現れます。
有給休暇の取り方が変わります。以前はなんとなく周囲の業務も考慮して申請の時期を見計らっていたのに、それがない。しかも少し意地の悪いタイミングで使うようになった。朝の挨拶の温度が微妙に下がった。返事が一言になった。会議で発言しなくなった。ミスが増えた。以前は自分から動いていたのに、最近は指示待ちになった。
こういった変化を、経営者はなかなか「不満のサイン」として読み取れません。体調が悪いのかもしれない、プライベートで何かあったのかもしれない、と別の理由を探してしまいます。そして変化を見過ごしたまま時間が経ち、ある日突然、退職届が来ます。
「突然でした」と経営者は言います。しかし私の経験では、退職を決意した日と、退職届を出した日の間には、相当な時間があります。社員は静かに、しかし確実に、次のステップへの準備を進めていました。経営者だけが知らなかったのです。退職届が来た日を「始まり」と感じる経営者は多いのですが、実際にはその日は「終わり」なのです。本当の意味での始まりは、もっとずっと前にありました。
訴訟や労働審判の現場で、私は何度も同じ光景を見てきました。手続きが始まると、社員側から詳細な日記やメモが証拠として提出されます。日付、時刻、発言の内容、その場にいた人物。驚くほど細かく、驚くほど正確に記録されています。
経営者はその書面を読んで、絶句します。「こんなことがあったのか」と言う人もいます。「あの発言にそんな意図はなかった」と言う人もいます。「なぜ言ってくれなかったのか」と怒る人もいます。しかし、その問いへの答えはシンプルです。言える職場ではなかったから、記録するしかなかったのです。
社員は在職中、ずっと黙っていました。しかし何もしていなかったわけではありません。「そのとき」を待ちながら、静かに証拠を積み上げていました。そして退職と同時に、あるいは退職後に、その記録が法的な武器として使われます。
経営者は完全に無防備です。日常のやり取りを記録している経営者はほとんどいません。「まさかそんなことになるとは」と思っているので、何も残していません。一方、社員は何年もかけて準備しています。この非対称性が、労働事件における経営者の苦しさの根本にあります。
「弁護士に相談しています」と言われたらどうしたらいいか?

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もう1つ、近年増えているケースがあります。若い社員が突然出社しなくなり、本人ではなく両親が代理人のように現れるパターンです。両親は我が子を一方的な被害者として位置づけ、会社の対応を強く批判します。
経営者は「なぜ親が出てくるのか」と戸惑います。しかしこれもまた、本人が職場で声を上げられなかった結果として起きていることです。言えなかった本音が、形を変えて、別のルートから噴き出してくるのです。
若い世代ほど、職場での本音を抑え込む傾向が強いと感じています。表面上は従順に見えても、内側では相当な葛藤を抱えていることがあります。その葛藤の出口が、親という形で現れることがあるのです。
こういった状況になったとき、社員からこんな言葉が出ることがあります。「弁護士に相談しています」「労働基準監督署に相談しています」。この言葉を聞いた瞬間、多くの経営者がフリーズします。頭が真っ白になり、何をどうすればいいかわからなくなります。そして焦って、慌てて、場当たり的な対応をしてしまいます。
しかし申し上げたいことがあります。この言葉に、必要以上に動揺してはいけません。実際に相談しているかどうかは、その時点ではわかりません。交渉の場において、相手を揺さぶるための言葉として使われることも多いのです。
最悪なのは、焦ってペースを相手に渡してしまうことです。慌てて謝罪する、根拠のない金銭を提示する、感情的になって余計なことを言う。こういった対応が、後になって経営者自身を追い詰める結果につながります。この言葉を聞いたとき、まず落ち着くこと。速やかに信頼できる専門家に相談すること。感情で動かず、事実を整理すること。これが、この局面で経営者が取るべき態度です。
私が200件以上の労働事件を担当してきて、1つ確信していることがあります。社員が経営者に対して法的な手段を取るという事態は、正しいか間違っているかという理屈だけでは説明がつきません。その根底にあるのは、感情です。好きか嫌いか。信頼できるかできないか。
「この人は自分のことを分かってくれている」と思える経営者に対して、社員はなかなか矢を向けません。多少の問題があっても、表面化しないことがほとんどです。逆に、「この人には何を言っても無駄だ」「自分のことを見ていない」と感じた瞬間から、社員の中で何かが変わります。不満が記録に変わり、記録が証拠に変わり、証拠が申立書に変わっていきます。
問題が顕在化するのは、根底に経営者への不信感があるからです。「分かってくれない」という感覚が、火種になります。これは法律の問題である前に、人間関係の問題です。だとすれば、経営者に求められるのは、難しい法的知識よりも先に、「好かれる技術」ではないかと私は考えています。
好かれるというと軽く聞こえるかもしれません。しかし、好かれている経営者のもとでは、問題が起きても話し合いで解決できます。好かれていない経営者のもとでは、小さな問題が取り返しのつかない紛争へと発展します。この差は、法律の知識よりもはるかに大きな意味を持っています。
社員に声をかけているか?

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では、好かれる技術の第一歩は何か。難しいことではありません。まず、こちらから声をかけることです。
評価でも、指示でも、確認でもない。用件のない一言でいいのです。「最近どう?」でも「疲れてない?」でも構いません。社員は経営者の言葉を、思っている以上に重く受け取っています。経営者からの用件のない一言は、「あなたのことを見ている」というメッセージになります。その積み重ねが、「この人は自分のことを分かってくれている」という信頼につながっていきます。
労働事件は、ある日突然起きるものではありません。長い時間をかけて、静かに準備されるものです。その準備を始めさせないための最善策は、実は制度でも規則でもなく、日頃の小さな歩み寄りにあります。まず今週、1人の社員に声をかけてみてください。それが、職場の不機嫌を直すための、最初の一歩になります。
次回は、その静かな職場の中で「黙って支えている人」が、実は会社にとって最大のリスクになっているという話をします。メンタル不調で休む社員のことは心配する。でも、その穴を埋め続けている社員のことを、経営者は見ているでしょうか。
執筆者プロフィール
- 島田 直行(しまだ なおゆき)
- 島田法律事務所代表弁護士。山口県弁護士会所属。
- 山口県下関市出身。京都大学法学部卒業。
- 「オーナー企業の経営者を全方位から支える」を信条に、経営者の心理的負担に配慮した「社長法務」を提唱。労働問題やカスハラ対応、事業承継など、経営に直結する法的課題に対し、訴訟に頼らず交渉による円満解決を重視するスタイルが特徴。
- 経営者側の代理人として200件超の労働事件を解決した実績を持ち、他士業との連携にも尽力している。
- 著書は『社長、クレーマーから「誠意を見せろ」と電話がきています』(プレジデント社)、『社労士のための労働事件 思考の展開図』(日本法令)など多数。

